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2004年08月29日

「老い」とは

 多摩自由大学の次回の講座では、9月の敬老の日にあわせて「老い」を考えるパネルディスカッションを開催します。パネリストの最高齢は89歳ですが、今でもなお、多摩自由大学の運営の中心メンバーであり、そして地域でさまざまに提言活動、調査活動をされている方です。
 今日は自由大学の運営会議に出席しましたが、もともと運営委員として参加しているメンバー自身も既に65歳以上でいわゆる高齢とされる域にありながらも、元気に活動をされているかたばかりです。やはり健康が最大の関心事で、何よりも精神的にいきいきとすることを大事しながら地域で暮らしていることこそ、いつも会話の端々から伝わってきますが、気持ち的に「老い」を感じさせる場面に出会ったという記憶はなく、私はむしろ彼らの‘元気’さに力をもらうこともしばしばありました。
 ところが次回の講座では‘老い’を真正面から捉え考えていこうとのこと。「老いの本質」を考えて、問うていきたいとするのです。私にはとうていわからない、でも何だかある種の寂しさもある響きを感じたのでした。この問題に向かうことこそが敬老の日を意味のあるものにするというチラシの一文にもまた、私の未知で、そしてまだまだ想像もつかない思いが込められている気もしました。
 「高齢者」を考える時に、この問題をきちんと捉えておかねばならないことを投げかけられ、頭では何となくイメージができていても、今まで私があまり気にしてこなかった視点の一つだと気がついた次第です。

投稿者 hisaka : 2004年08月29日

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