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2004年08月28日

誤った認識、ゆがんだ認識・…

 月に一度の都議会との情報交換会が開催されました。全国紙での報道になった社会科の教科書選定の問題、男女混合名簿のこと、学校給食の牛乳供給、そして特別支援教育のこと…とかく東京都の情報は膨大です。その中から優先順位をつけながら、特に地域(多摩・稲城市)と深く関連するようなことを中心に意見交換などをしました。

 教科書選定のことは言うまでもなく「歴史」教科書のことですが、新設される中高一貫制の都立校(中学校用)、そして一部の養護学校(中学部)で、来年度から「新しい歴史教科書をつくる会」を中心に編集された『扶桑社』のものが使用されることに決定しました。実際にこの教科書を手にとってみたことはありませんが、自分の知り得る限りで判断するには、やはり生活者ネットワークでも主張しているように、この教科書についてはいかがなものかという見解です。この新しい歴史教科書ですが、何が古いとするかはわかりませんが、ここに新しい歴史観が存在しているわけで、賛同者たちは既存の教科書について「誤った歴史認識」に基づいているとしています。事実と真実との関係については常に問題にされるところですが、史実はきちんと捉えて後世に伝えていかねばなりません。歴史からは多くのことを学べます。

 さて、この歴史教科書問題で引用される「誤った認識」…この言い回しは「ジェンダーフリー」のことでも使用されます。何でも「ゆがんだジェンダーフリーという認識」に基づく男女混合名簿は使用してはならないのだそうです。この度の都教育委員会の方針です。
 現在、男女混合名簿は各学校の校長先生に使用不使用の判断が委ねられています。これは内閣府の公式見解でもあります。多摩市内でも男女平等という観点に基づいて男女混合名簿を使用している学校があります。私が小学校の時には名簿順とは男子が先で女子が後でした。それを考慮してか(私自身が実際に経験したわけではありませんが)、話しを聞くところによれば、女子を先に男子を後に…として点呼する学校もチラホラとあったと聞きます。
 しかし、今は「混合」です。名簿の在り方が男女平等観を左右するのかどうか…これにはその通りだと言い切ることはできませんが、実際に私の経験では男子先は‘普通のこと’でした。そのことが男女差別とは思ったことはありませんし、男女の区別だとくらいに感じていたと思います。いつでも男子が先に…ということがおかしいと感じた記憶はありません。でも、男女区別もしないで「混合名簿」をと主張する考えにはなるほどなと思います。これが男女平等観にどれほど影響するのかはわかりませんが。
 これについては、国からも「ジェンダーフリー」という用語の定義が定まっていないという見解が出され、この用語には誤解や混乱があるとしています。この方針を受けてなのかもしれませんが、「ゆがんだジェンダーフリー」観に基づく男女混合名簿の使用は認めないとする東京都の方針には、「はぁ…」とため息が出てしまいます。

 「ゆがんだ」とか「あやまった」とか…都合良く、便利用語的に使用されている気がしてなりません。価値観をどう育てていくのかには教育は重要です。そして価値観などは時代とともにその内容が変質し変容する部分があるのも当然です。でも大切なこと、見失ってはいけないところがあります。それをどう捉えておくのか…正面から議論できていない状況があるのではないかと感じます。

投稿者 hisaka : 2004年08月28日

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