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2004年05月09日

迎える高齢社会に・・・

 午前中に鶴牧商店街の一角にあるデイサービス麻の葉の総会に参加しました。生活クラブ運動グループと言うことで、生活クラブの組合員を中心に立ち上げたNPO法人です。今年で総会も4回目、活動内容も随分と充実してきました。しかし、それに比して、厳しいのは収支状況。何とか賃金は払えている模様ですが、役員(理事)の人件費が払える状況ではなく、むしろ運営のために法人に貸付をしているのが現実です。
 利用者を拡大することで収入増は見こめるのですが、アットホームは雰囲気で、さらには高齢者だけではなく障害者、子どもたちとの交流までも視野に入れながら、少人数で一人ひとりに行き届いたケアをしていくことがモットーであり、設立理念でもあることから、むやみやたらと受け容れ人数を増やすわけにはいかないという悩みもあります。本来の事業のほかにも、収益事業としてガーデンシティ等では定着している「ジャンボシュウマイ」販売などをしていますが、こちらもまた労力には見合わない大変な作業の上に成立しています。
 それでも続けていくこと、そして地域での居場所の一つになっていくことの喜びがあるそうです。そこに支えられているのが事実でしょう。「継続は力なり」を信じて、活動を続けていく意気込み充分なメンバーたちを見ていると応援したくなります。
 鶴牧に立地していると言うことでは、総合福祉センターとも近いので、社会福祉協議会(社協)との連携の中で、例えば福祉機器の出張説明会等を行ないたいと考え、昨年は何度か話合いもしたそうですが、なかなか社協に頷いてもらえなくて残念とのこと。今後も粘り強く働きかけをしたいと報告がありましたが、社協がこのような取り組みを断わり、応援しないことはないと思いますので、前向きな姿勢を期待します。

 多摩市の高齢化はまだ深刻と言えるような状況にはありませんが、やはり今から10年後を見たうえで考える必要があるでしょう。

 午後から「ベルブゼミ」のオープンシンポジウムに行きました。「よみがえるかニュータウン、今日の一歩から」というテーマで講演会とパネルディスカッションが行なわれました。
 これは公民館セミナーとなっていますが、もともとは「高齢者セミナー」をリニューアルしたものだそうです。今までは公民館の職員だけでの企画だったものを、公民館運営審議会のメンバーや地域で活動をしている方なども交えて企画を立てたそうです。なるほど…「高齢者セミナー」のリニューアル版ということで、今日以降は平日午前中の開催が多いので、現役世代の参加を見込むとなれば難しいかなと思います。しかし今日の参加者、約50名ほどの顔ぶれを見ると、いわゆる団塊の世代くらいの「高齢者予備軍」の人たちが少なくなく、高齢期に入っていくこと、地域に戻ることへの準備への関心の高さを感じました。

 さて、基調講演では千里ニュータウンについて勢力的に取材されてきたという中村聡樹さんから、10年後の多摩ニュータウンの姿を想像させられるような話を聞く事が出来ました。一言で言えばニュータウンとは「循環できない‘まち’」ということです。若い世代はどんどんニュータウンから流出し、千里ニュータウンでも現在残ってるのは初期入居者。居住者の年齢と共にニュータウンも年を重ねていくと言うことです。10年先行して建設された千里ニュータウンの現在は、このまま多摩ニュータウンが突入していく姿に重なっていくのでしょうか?
 私はそれこそ「先駆者に学べ」ではありませんが、同じような道をたどっていくとすれば知恵が無さ過ぎるように思います。何とか今、10年後を想像しながら、行政としての対応を講じていく必要があるでしょう。もちろん行政だけではなく、住んでいる人自身で解決しなければどうしようもない問題もあると思います。
 例えば千里ニュータウンのエピソード。豊中市長が「5年間、5階で寝たきりの人を地上に下ろしてあげて欲しい」と自治会の人にお願いしたところ、自治会の人たちは、当初、その意味がわからなかったとの話です。ようやく市長のことばの意味を理解し、そこから始まったのは住民調査だったそうです。このように、地域の人たちが地域に住んでいる人の事を知らずに生活をしているのがニュータウンだと言います。
 多摩市だとどうなのか・・・・?隣の家の家族構成を知っているのか?と言われれば、特に私のように入れ替わりの激しい賃貸住宅に住んでいる人は答えようがありません。

 プライヴァシーが重視される時代です。もちろんプライヴァシーに土足で踏み込むような事はあってはならないと思います。けれども他人に干渉しないことと、他人に関心を持たないこととは違います。生活する、または「暮らす」という意味を問うてみると、そこには人と人とのつながりが不可欠でしょう。その意識が生まれにくいのがニュータウンの住まい方なのかもしれません。そこは住んでいる人たちの意識によっていくらでも変えていける部分です。

 今日のシンポジウムはここに書ききれないぐらい多くの示唆に富んだ話を聞くことができ、特にパネルディスカッションで登場した在宅ケアに積極的に取組んでいる太田秀樹氏の話には目からうろこでした。彼は「社会参加ができない‘まち’」で人間の尊厳を語ることが出来ないと言っていました。「選挙があるのに、それこそ5階で寝たきりの人はヘルパーさんと一緒に選挙に行けますか?」とサラリと言われてしまいましたが、本当にその通りだと思いました。社会参加することへの支援の充実こそが‘まち’には不可欠で、それは行政だけではなく地域の人たちの支援がなければできないことです。考えさせられた部分です。

 多くの人にも聞いてもらいないようの話でした。特に、これは市民向けの公民館の一セミナーとの位置づけしかされていないのかもしれませんが、福祉部の職員には関心を持ってもらい、足を運んでもらいたいなと思いました。「公民館でやっていること」と片付けてしまうのは、今までの縦割り行政の悪弊です。高齢化の問題はそれこそ市全体で取組む課題ですので、部署に違いを超えて職員同士も手を組んでいくことが大事だと思いました。公民館長からシンポジウム開催にあたっての挨拶がありましたが、これがまた素晴らしい挨拶で「講座を通じて、少しでも多摩ニュータウンが元気になるようにつなげてきたい」との思いに溢れていました。

 「どうやったら‘まち’を元気に出来るのか?」は積極的に‘まち’を歩かないとわからないのだと思います。今日の麻の葉の総会には、市民活動推進課の担当職員の方が来ていました。もちろん麻の葉から声をかけたそうですが、声をかけられても休日ですし、断わる理由はいくらでも考えられます。こうして仕事とは無関係に、足を運んでくれる職員の存在がどれほど貴重なのかがわかると思います。少数派かもしれないけれど、地道に市民とのつながりを作ってきた職員の努力を無駄にしたくないなとつくづく感じます。

投稿者 hisaka : 2004年05月09日

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