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2004年05月08日

最近、痛感していること。

 ニュースの特集で連休の過ごし方について紹介されていましたが、資格試験を目指すための集中講座などが社会人には大人気だそうです。企業神話の崩壊などの現実に思い知らされ、自分自身のスキルを磨くことへの関心が高まっているのだと思います。

 大学院には多様な人材が在籍しています。地方公務員、地方議員が学生の6割を占めています。年代は様々、それぞれ背負っているものも違います。けれども共通していることは、やはり地方分権の流れの中で、仕事の上でも生き方のうえでも同様ですが、自分たち自身をどう位置づけていくのかについて見定めていく必要性を感じていると言うことです。ここに「自分自身のスキルを磨くことへの関心」と通じるものがあります。
 
 しかし、公務員という職業は雇用の安定が約束されていることから、民間企業での労働と性格も異なり、危機感も違うとされます。最近ではかなりの批判の的となっていますが、同級生?の公務員の方は大学院に通うだけあり、問題意識が高く、豊かな見識を持った方ばかりです。
 ある程度、時間を自由にやりくりできる議員とは違い、平日夜の授業を終えてから、翌日も定時に出庁する公務員学生は、大変だろうなと思うのですが、残業三昧の民間企業に比べたら…なのかもしれません。私は会社時代にも真面目に夜遅い帰宅ラッシュに紛れたことは少ないので、帰り道に毎回、電車の中や永山駅で、疲れた表情で階段を降りる人と一緒になりながら、「労働」について考えるようになりました。クタクタだよなと思います。
 そしてそんな人たちを横目で見ながら、市民参画とか市民協働を考えさせられます。余裕は無いだろうなと思います。だからこそ、特に議員や首長といった政治家に課せられる責任の重さを感じる日々です。

 ところで、大学院の授業で面白いところは、それぞれ自治体が全く異なるので、議員、職員の壁は全く関係なく議論ができることです。これが多摩市で職員と話す時にはどうしても「議員先生」みたいな取扱いをされることが多く、私にとってはこれほどなく居心地の悪さを感じるのですが、余計な気分を味わうことなく、「公務員の立場」を理解できる場面もあり、また「議員の立場」を理解してもらえる部分もあり、双方にとってとても有効な場所だと思っています。
 また、議員どうしで話すと話題になることは「授業に来るとなかなか地元に顔が出せない。」と言うことで、それについても地域によって随分事情も異なることがわかります。地元と学校との間で苦労している人が少なくありません。土曜日、日曜日の週末とは議員にとって地元との交流には欠かせない2日間で、参議院選挙が近づいていることも考えるとなおさらのようです。私の場合は大学院に通うという点では恵まれた環境に置かれているようです。(もしかすると自分自身の中にある「わりきり」かもしれませんが…。)選挙を意識しすぎると、毎年何かしらの選挙があり、それで一年が終わってしまうのが現実です。これではあまりにも虚しいわけで、そうじゃない時間の使い方をしたい心がけています。
 もちろん地域の課題を見つけるためには、地域に積極的に足を運び、地域の人との交流を持つことは大切です。どうやって地域の政策課題を広いながら、議員としての活動を並行させるのかが、これからの地方議会には重要だと感じます。

 先にも書きましたが、「クタクタ」の労働を強いられている人が少なくない現実を見て、そして「公」の仕事をしていく…これは政治家だけでなく、公務員も同じですが、そこに求められるスキルと責任の重さを再認識する必要があります。それは税金を労働の対価としていることの意味をもっと強く感じるということにもつながるのだと思います。大学院に通う公務員の方を見ていても感じさせられることです。公の仕事に携わる人に問われる倫理観の綻び…問題化している今日この頃。問いなおし、考えなおすべきことが山積みです。 

投稿者 hisaka : 2004年05月08日

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