« 今日は中学校の入学式で・・・・。 | メイン | 条例をつくるって? »

2004年05月01日

電子政府や電子自治体の進展から…

住民基本台帳ネットワークが稼動してから2年を迎えようとしています。市内で住基ネットに対する異議を唱えている市民グループが主催した学習会に参加をしました。
 私も住基ネットには反対ですが、その理由は語られるほどの利便性が感じられないこと。「一体、誰にとって便利なの?」と常々思います。一般的に考えても、日常生活において住基ネットの恩恵を受けているわけではありませんし、住民票の取得などにおいても、正直一年に一度だってもらわない人の方が大多数ではないかと思います。
 それにも関わらず、電子化というのは莫大なお金がかかっています。機械の維持管理経費に投入している税金、維持のみならず新しいシステム開発のための投資など、これが本当に妥当な税金の使い道と言えるのか疑問です。だから新たな公共事業だと揶揄されるのも当然だと思っています。
 
 今日の学習会は小倉利丸さんを招いた講演でした。小倉さんは先日は朝日新聞にも「自己責任」論について発言もされていましたし、住基ネットの問題について執筆されたものについても読んだ事があったので、一度話を聞いてみたい人のひとりでした。
 小倉さんは「監視社会」への危機感、盗聴法反対の取組みを中心に活動を続けてきたそうで、今日は住基ネットそのものというよりは「監視社会」に対する見解を聞く事が出来ました。

 住基ネットに限らずですが、一時は不安を招くような法律の制定なども一旦、導入されてしまえば、異議を唱える声もだんだんと消え入るようになっていく…市民運動なども結局のところ行き詰まりを見せるのが実態です。「喉もと過ぎれば…。」みたいな面が拭えずにあることは私たちが自覚しなければ行けない部分だと思っています。
 例えば私にしても、住基カードの導入など議会において反対意見を述べはしますが、じゃあ、日常生活に戻ったら・・どうなのかと点検してみれば、それ以上の事は何も出来ずに、時々「住基カードは利用されているのかな…」とかカードの発行枚数が気になるくらいの話です。
 まさに小倉さんが言うように、「実感がわかない」…住基ネットに纏わる様々な危惧があるわけですが、その問題点を経験的に感じられないことこそが根深く、解決し難い壁なのです。
 つまり、経験がなければ、そこは想像力を働かせるわけで、そのためには仕組みを理屈で理解し、そして説明し、そのものが一体何であるかを議論し、自分たちにもたらされる価値を判断していかねばなりません。市民的なコンセンサスを形成するには非常に時間を要します。ここがとても肝心な部分ですが、スピード、効率性が求められる時代に十分な議論が尽くされないままにどんどんと動いているのが現実です。
 何となく便利になりそうな…そんな気分はありますし、事実、便利になるということも一面では想像出来るものの、その便利さが本当に不可欠なものであるかどうかは様々な観点からの議論の余地はあるでしょう。「セキュリティについて、技術で守っているものは技術を持って破ることが出来る」という小倉さんの指摘には同感です。

 小倉さんは住基ネットの問題は電子政府や電子自治体というもっと大きな枠組みから考える必要があると指摘しました。実は住基ネットも政府が意図したように動いていない、つまり住基カードの普及は今一歩というところになり、新たに電子自治体統合計画を浮上させてきたと言うのです。具体的に電子政府や電子自治体になることで何がどう具体的に変わるのか示されてはいませんが、とりあえずは個人情報の全国共有とでも言えるのかもしれません。そうなってくれば当然に個人を特定するための仕組みが必要になります。これが住基ネットに11桁の個人コードでもいいわけです。…つまり、住基ネット反対運動も一点集中ではなくもう少し幅広い視野から捉える必要性を主張されていました。

 さて、ここでもう一つの視点があります。こちらのほうが重要だと思いました。というのは「電子化と統治システムの姿」を見た時、ますます議会制民主主義が形骸化するのではないかというのです。つまり電子化が進んだ究極の姿を見た時に、行政に対する市民の参画の可能性が広がる一方(これは電子化の謳い文句の一つ)で、実は市民参画をどこまでつきつめても、最終的な決定権限を持っているのは行政であることを忘れてはならないというのです。どんなにたくさんの意見を電子媒体によって行政に届けたとしても、その裁量は行政にあるわけです。行政と市民とは不対等な位置関係にあることを認識しておかねばならないと言うのです。
 さらにはそのときに議会の存在をどう考えるのか?という課題もあり、行政にどんどん市民参画が進むとするならば、議会の存在価値、言わば現在のシステムの中ではどんなルールであれ最終的には議会で決定する議会制民主主義の仕組みがあるにも関わらず、それが骨抜きにされる危険性もはらんでいると言うのです。小倉さんは「権力のかたちが変化している」と表現をしていましたが、とりわけ地方自治体においては今以上に首長権限の高めることにもつながる危惧があるというのです。
 そもそも民主主義というのは物事の決定までに議論をするということがあり、そのことが価値だろうと言います。時間がかかるのは当然のことですが、「時間の消費」の仕方において、まずは効率性が要求される今日この頃です。
 小倉さんの指摘のように私たち自身の持っている体内時計…つまりこれはライフスタイルに対する考え方だと思いますが、今の社会のあり方をどう考えるのか?「利便性」「効率性」などなど、一件、ラクチンできるように錯覚している事があるのかもしれない…との視点よりライフスタイルを捉え直し、「電子政府、電子自治体」を見つめ直すことが必要なんだと思いました。それは「監視社会」がいいのか悪いのかという是非を問うものではないでしょう。

 進んでいる電子社会を決して否定するわけではなく、私も日々、恩恵を受けて生活をしてます。しかし、この流れに乗りつつも、自分たちが守らなければならない、または守っていきたい価値を見失う事はできないなと思います。そしてその価値とは何か…これを議論する時間を持たなければなりません。しかし現実に向きあってみれば、十分な時間を持ち得ないと言えます。このことを私たちは立ち止まって考えてみる必要があるのです。

投稿者 hisaka : 2004年05月01日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/674