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2004年03月27日

『世界の複雑さに耐える』

 春らしい天気で人の動きも軽やかだなと思います。お昼頃、多摩センターの三越前で「容器包装リサイクル法改正」に向けて署名活動をしました。チラリと見向きもせずに足早に歩く人の多い寒い時期に比べて、署名活動も好調でした。

 混沌とした世界情勢です。自分の地域だけで暮しているとそんなことをこれっぽっちも実感できないのが現実があります。けれどもマスコミ報道を通じて伝え聞く世界の模様は決して他人事とは思えません。求められるのが「想像力」。自分自身の想像力が試されるなとつくづく感じる今日この頃です。

 今日は「平和集会」ということで、「中東とアメリカの関係を考える」をテーマにした学習会に参加しました。対イラク進攻から1年過ぎましたが、爆撃の恐怖と背中あわせの毎日を送ってきた人々がいることを思いつつ、私の一年を振り返ると、とても複雑な心境に陥ります。
 学習会の講師は都立大学の教授で社会人類学(文化人類学)がご専門の大塚和夫さんです。多摩市在住です。中東などイスラム関係では日本の第一人者とされる程の有識者の方です。
 「新聞には載っていないこと。普通の人々のこと。」大塚先生がイスラム地域を歩き、出会った市民たちの生の声や、日本のマスコミでは報道されない現地の新聞記事などを資料にし、非常に示唆に富む話を聞くことができました。
 日本ではなかなか感じることができない宗教の問題が根深くあることは少しはわかりましたが、それでも私はそのことが内包している‘モノ’までを理解することが出来ません。それは私自身の生活で宗教を意識することが皆無に近いからだと思います。

 先生は冒頭で、死者や負傷者の背後にあるたくさんの悲しみと怒りが強調されていましたが、それこそ「想像力」を持つ私たちが考えなければならない部分であり、そこから行動につなげられるところではないかと感じました。
 「復興支援」は誰のためにあるのか?現在、日本で語られている中東問題は国内政治や対米政策が優先されているのではないかとの見方を示されました。実際に、この問題についてはマスコミなどで中東学者の発言の機会がほとんどないことも指摘されました。(政治学者や国政政治学者の出番の多さ!)

 日常生活で、私たちはどんな情報を得て判断しているのか?…また改めて考えさせられました。先生も「情報化時代に生きるということ」を最後のまとめとしていましたが、自分自身の話したこともあくまでも1つの情報であり、それぞれの人が、もっと「外に向いて耳に障る情報も積極的に受け入れ、慎重に吟味をして主体的に判断」してもらいたいと強調されていました。
 先生は「文明対テロ」や「信仰者対不信仰者」のように単純な二元論だけでは説明がつかないのだと言っていました。もっともっと多様で複雑な問題が絡みあっているということです。私も同感でした。だから「世界の複雑さに耐える」なのです。

 中東地域の歴史だけではなく、私は最近、自分自身の歴史認識や歴史観をつける必要性を感じています。まずは日本についても同様です。今の社会を理解するためには「歴史」を抜きにして語れないからです。…大学時代のノートを引っ張り出してきましたが、これはあまり役立ちそうにありません。

投稿者 hisaka : 2004年03月27日

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