« 予算特別委員会最終日 | メイン | 活動報告はお休みです。 »

2004年03月18日

戦場では涙は見せない。

 総務常任委員会で自治基本条例の修正案を提出し、賛成多数で可決されました。自治基本条例については約3年の年月を経て、ようやく本会議でも可決される見込みです。

 市の最高規範的な性格を持つ条例の制定に、多くの議員の賛同を得たいと努力をしてきました。でも、残念ながら、今日の委員会の中では「『市民の義務』を削除しないのなら、他はどんなの譲歩をしても妥協は出来ない」として反対の会派がありました、
 「権利ばかりを主張しない」こんな覚悟がそもそもの市民提言案にも盛りこまれていました。私はこれは自治条例には書かせない要素だと考えています。

 それから今までは会派としての意見でなく、個人的な見解として委員会での審議に参加してきた議員が(私にとってはこの後に及んで…という印象がどうしても拭えないのですが)始めて「会派の意見」をまとめてきました。その一番の主張としては「もう少し制定を先送りして十分に議論を尽くすべき」との理由でした。そこで「時期を先送りする」ためにと動議が出ましたが、これはもちろん却下されました。

 先にも私は「この後に及んで…」と書きましたが、私自身も今までの経過の中でこれ以上時期を先送りすることは出来ないと考えてきました。先送りの理由について、条例案内での「市長が別途定める」という部分が問題であるとの説明がありました。「市長が別途定めるものが要綱か規則なのかはわからないけれど、とりあえず条例案といっしょにそれらについても議論すべきではないか?」というのが論旨でした。勝手に市長に定められても困るというのです。
 しかし私はその意見、最もらしいけれど、実はとても無責任だと思いました。時間の経過を考えたとき、そもそもこの条例の提案は12月でした。その後1月、2月に3回の委員会を開催しました。もしも「市長が別途定める部分」についてもあわせて議論すべきだと主張するのならば、今日ではなくてもっと事前に提案をすべきでした。「3月制定を目指していこう。…そのために出来る限り努力をしましょう。」という流れは委員会にはありました。本当は市長から提案された12月議会ですんなりと議決になることが最も望ましい形なのかもしれませんが、議会としての議論はしようということでは了解をしたうえで「継続」の結論を出した年度末でした。ただしいつまでも時間を延ばすわけでなく、みんなで協力し合い集中して議決を目指して取組もうと考えていたはずでした。
 ところが、動議が出たのでした。動議が出ることに私は何らケチをつけるつもりはないのですが、その理由にはとうてい納得ができません。「じゃあ、今までの3ヶ月間はなんだったの?」と思うからです。もっと早い段階でその提案をしてくれていれば、いくらでも対応ができたはずです。行政に要綱や規則の作成を求める時間も十分にありました。あまりにもタイミングが悪いというか、今までの経過をどう考えているのか?と思いました。

 もちろんそのような経過を知らなければ、議会は真剣なる議論をするために先送りしたんだな?と表面的には受けとめることは可能です。でも今までの流れを見てきた市民にとっても不可解な出来事だったようです。

 私自身は「脱!退屈なOL生活」を変えるために面白そうな地域活動に参加してから今まで本当に長い長い道のりでした。市民ワークショップにいた自分の立場から、議員として条例案を議論することになり、その中では「本当にこれでいいのだろうか?」という葛藤も抱えながら「よりベター」を目指して取り組んできました。もちろん自分の思い通り、理想通りに事が運んだとは言えません。自分の主張はするけれど、その代りに他人の主張にも耳を貸し、その中で妥協もしてきて、ようやく合意にたどりついたのです。
 ワークショップでもそうですが、価値観の違う人たちが集まって、一つの目標に向かうとき、合意形成までの道筋において、どの人も苦しみを味わうと思います。それは自分の主張ばかりをしていても物事は決して一致を見ないという辛さを学ぶからです。けれども、その辛さがなければ決してまちづくりができないとの実感へとつながると考えています。この実感は「討議デモクラシー」を豊かにしていくのだと思っています。

 修正案については、市長提案の原案をより良いものにしたいからこその提案でした。当初、委員会で修正案を作成することについて、ネットでは「どうして?」という疑問の声があがっていました。修正案が原案の内容よりも後退したら困るという考えで、慎重に静観していた方がいいのではないか?との意見もありました。でも、私は今までの委員会での学習会の積み重ねなども踏まえて「絶対に悪い方向にはならない。」自信がありました。その上で「修正案作成」に呼応したのでした。
 最終的な修正案については、もちろん不十分な部分はありながらも原案と比較をすれば、随分と前進した…として傍聴されていた市民数人の方からは評価の声が聞けたことで救われました。

 あとは最終日に議決され待ち…という状態までたどり着いたことには穏やかな気持ちになれました。でも、うれしいとか喜ばしいとかおめでたい…という晴れやかさではありません。とても静かに「よかった。」という気持ちです。
 同時に「これからが大変なんだな。」というプレッシャーにも似た重みがどーんと押し迫っていました。修正案を可決した責任の重さがあります。「可決できて、制定できればいいわけではない。制定してからが大変なんだ。その後が本当に試されるんだ。」という気持ちがどっと押寄せました。
 そんな私の交錯する気持ちが思わず自分の態度表明の時に涙声に変わってしまいました。「みっともないよ・・・。」と後から仲良しの傍聴者に言われました。もちろん返す言葉はありません。そのとおりだと思います。
 そして「修正案」の作成で一緒に悩んできた年長議員さんには「戦場ではだめだよ、男も女もね・・・涙見せちゃ…。」と言われました。歯を食いしばる強さが私にはまだまだ不足しています。
 だけど私は市民として「市民提言案」の策定をした2年前の達成感と今日感じた「条例案」が制定されるんだな…という到達感の違い、その責任の重さの違いをものすごく感じていたことは事実です。「恐さ」に似た気持ちがありました。それに一瞬襲われたのだと思いました。

 「一体、何だったのか?」と後から考えました。それは自分の手の中にある議員の‘力’に改めて気がつかされたのだと思います。これは使い方が本当に難しい‘力’なのです。

投稿者 hisaka : 2004年03月18日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/654