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2004年03月17日

予算特別委員会最終日

 最終日でしかも自分の持ち時間は既に消化済み…ともなると、あとはじっくりと他の人の質疑を聞いて、最終的に可決か否決の判断を下すのみ。緊張感と集中力は欠かさないようにと、あまりにも心地よすぎるやわらかな日差しの中、議会に向かいました。

  *** 予めお断わりしますが…かなりの長文です ***

 今回の予算に賛成するということは、行財政再構築プランの初年度についても了承することにつながります。行財政診断白書、再構築プランとの流れには正直賛成しかねる部分もあります。けれどもとにかく財政状況が厳しくなっているという現実、行政も議会も与えられている環境は同じです。この環境の中でどうやって改革をすべきなのか?ここに大いに行政、議会ともに知恵を出し合わなければならないと考えます。
 しかし残念なことに「議会」というまとまりが非常に弱いのが現状で、正直、二元代表制がまったく機能しておらず、結局は法律のもとで強大な権限を付与されている市長に引っ張られて物事が動いているのが現実です。その現実を直視しなければならない…忸怩たる思い、情けなさに浸ることがしばしばです。議員の活動はそのような中で続いてきただろうし、今後も続いていくのかと思うと、地方自治法を改正して、本当の意味で市長と議会が対等になれるようにして欲しいと思いが募る一方です。長々と委員会にて議論をしてきた自治基本条例ですが、その中で少しでも議会の位置づけを高めたいと試みたものの、それでも法律には太刀打ちできないところがあることも思い知らされている今日この頃です。

 今回の予算審議を通じて、最も強く感じたのは「地方議会」の力をどうやったら高められるのか?という大きな課題を乗り越える必要性でした。私を含めて、議員個々人ももちろんスキルアップする必要はあるでしょうが、議員個々人がそれぞれにスキルアップをしても立ちはだかっている壁は大きすぎるように思います。
 私は2期目ですが2年目です。ちょうど任期4年で考えれば折り返しにもあたります。だからこそ余計に色々な思いがめぐるのかもしれません。


 今日の審議の中では私たちの会派にとって実は重要な論点がありました。それは連光寺の道路拡幅工事についての予算でした。大型マンション反対に揺れている連光寺1丁目地域のまちづくりに関わる問題かもしれないから慎重に考えた方がよさそうだと会派内で議論をした部分です。事前に工事内容や今までの経緯も踏まえて担当者からは説明を受けていたのですが、将来のことを考えて、ここはきちんと市長の決断力を示してもらいたいと思っていました。

 20年来、地域からは道路拡幅の要望があったけれど、河川管理者である国との事務折衝がなかなか上手く行かずに地元の要望が叶えられなかった。しかしようやく3年越しでの本格的な事務折衝が実り、この度拡幅工事の予算化をした…簡単に言えば、これが予算計上の理由です。
 しかしここの拡幅工事をすることで一点大きな問題が発生します。それは大型マンション建設計画にあわせて事業者負担にて行なわれる道路工事も進めば(本来は事業者負担でなく行政が責任持ってやるべき整備であるが…)、車の流れや交通量は当然ながら変わることが予測されることです。実は今回拡幅される部分と事業者が拡幅予定の道路との間には川があり、現在は昔のままの橋がかかっています。それも幅が4メートルほどであり非常に狭いのです。つまり橋の架け替え、もしくは橋の拡幅などの措置をしなければ、歩行者の安全をきちんと図ることが出来ないのです。

 つまりは今回の予算計上の仕方は中途半端だと思ったわけです。どうせならば橋をどうするかまで含め考えた上で予算計上をすべきというのが主張でした。しかし「地元の人からも長年来の要望があり、市としてはできるところからでも着手したい、ようやく国からの許可ももらえたからどうしてもやりたい。」との説明でした。地元の方々にも、事あるたびに行政は全く動かない(事実としては国との関係で動きが取れなかった)と叱られて、怒られてきたそうです。
 その事情を理解するならば、最大限の譲歩をしようとのことになりました。市の根気よい事務折衝が実ったことに一定の評価をしてもいいだろうというわけです。しかし、中途半端なことを了解しつつも市長として予算計上の判断をしたことは重大です。私たちとしてはその市長判断には責任をしっかりと取って頂こうと思っています。任期内に責任を持って懸案部分の4m幅の橋についてもケリをつけてもらいたいと要望をしました。今日の市の説明だと、4メートル幅の橋については国や都との折衝の中で何とかしたいとの話でした。この何とかしたいという話の中身は「財政負担」をどうするのか?だけのようです。
 そうなれば市長の任期中に仮に国や都からの財政援助がない場合どうするのか?もちろん市長は政治家で腹をくくる必要もあり、中途半端な道路拡幅をした責任はとるべきだと考えます。決断をして補助がなかったとしても橋の架け替え等の措置等、市長のしかるべき対応が求められます。これは非常に大きな決断です。私個人は市長の手腕を見極めどころだと思っています。

 …ということで、私たちの会派は今後の市長の‘政治家’力がどうあるのかを厳しく見ていこうと思っています。市長も考えてみれば私と同じで2年目折り返し地点です。誰が市長をやっても、本当に困難な状況があることは確か。けれども立候補をする時点である程度の覚悟は出来ているはずとも思います。
 市長にとっては3年目を迎えるにあたっての予算編成です。今回示された提案全てに賛成は出来ません。でも、だからといってしっかりと対案を出し、根拠を示した上での反対もできないとの判断をしました。予算に反対をするということは、市長に反対をすることと同義だそうです。もしその判断をするためには、反対をする責任がどう果たせるのかも含めて考える必要があります。「総論賛成、各論反対」という物事の進め方がいいのか悪いのかは議論の余地がありますが、地方議会の置かれている苦境を受け止めて、今回の予算にも賛成の態度を表明しました。ギリギリでの賛成といえるかもしれません。ここはある意味で政治的な判断とも言えるでしょう。

 さて、最終日は波瀾づくめ?予算の「組換え」動議が出され、さらには私たちの焦点でもあった道路の拡幅事業について、地元の反対を受けている事業者の開発計画の浮上と、今回の市で行なう拡幅事業とのタイミングが面白いほどに合致していることに疑問を抱き、うがった見方をすれば「大型マンションの開発予定にあわせて予算計上が図られたのではないか?」という巷で飛び交っている噂も考慮して「修正案」が提出されました。
 組換え動議については、提案理由には部分的には納得できるところもありました。けれども提案事項の内容にミスがありました。私は組換え動議が出されたことについて、ただ反対をするだけでなく、きちんと対案を出し、自分たちの態度表明としていきたいとの姿勢は高く評価します。しかしやはり税金の問題、数字を扱う審議なのに、提案事項内容の数字を間違えて動議が提出されているということ自体に問題を感じました。もちろん反対しました。そもそもこの動議を認めることは、市が提案をしてきた予算規模よりも増額せよ…となってしまいます。

 そして「修正案」についても、質疑をしましたが、私たちの会派では「大型マンション建設予定」と地元要望での道路拡幅問題とを別個として考える整理をしました。しかし修正案の提案者は市の拡幅工事を認めることが、現在物議を醸し出し、地元で反対が起きている大型マンションの建設を促すことにつながるのではないか?という立場だったようです。提案者の主張では、とりあえずはこの拡幅工事の約2900万円は予備費に計上をして、「大型マンション建設」の一件について決着がついたところで、再度補正予算などで拡幅工事への対応をすればよいという判断です。私たちの会派では「補正予算ありき」という考え方には賛成しかねます。
 それから、「要するに、この拡幅工事を人質に取るわけね。」というヤジも飛んでいましたが、「マンション建設問題」で地元の意向に沿った決着をするにあたって、あまりにも行政が弱腰すぎる、もっと事業者に対して強い態度で臨むべきじゃないか?その努力が不足していると考えるというのが修正案提出の一番の理由のようでした。変な憶測が飛んでいることも考慮すれば、約2900万円の執行を慎重にすべきで先送りにして今回は予備費にしておくべきということです。

 私たちの会派では最終的に「マンション建設」と「道路の拡幅」とは区別して考えるとの結論を出していたので、結局修正案については「見解の相違」だったように思います。
 でも「見解の相違」と言えば、全てそこで議論が終わってしまいます。仮に本当に理解を求めるのならば「見解の相違」という言葉は最後の最後まで使うべきではないと考えています。私は実はこの表現は寒気がするほど嫌いです。ところが、私の質疑に対して提案者の側より先に「見解の相違」と言われたことには非常にショックを受けました。もう「歩み寄らなくて結構」、議論は終了と先にピリオドを打たれたのと同じだからです。一旦「修正案」を提出したら、それを取り下げるというわけにもいかずに、こういう形でしか議論ができないことには心底情けなさも感じます。でもこれはある意味で、現在の議会の構造的な、仕組みの限界なのです。

 もっと違った形で予算審議を行ない、もっと議員同士での議論が繰り広げられなければならないと強く思いました。市長に比して法律の後ろ盾が弱すぎる現状では本当に何をやっても陳腐に終わってしまう気がしてなりません。

 連光寺1丁目地区のマンション建設計画については議会としてもどう対応していくのかが問われる事項です。私たちの会派でもマンション建設計画を了解する、促すつもりで今回の道路拡幅工事を結果的に認めたわけではありません。
 各地で起きている「マンション紛争」ですが、所有権や財産権重視で優先で物事が判断されてきた歴史の中で起きている問題だと思います。そのことをいかにして解決できるのか?それは今回の道路拡幅工事を認める認めないにより解決できる問題とは思えません。非常に難しい問題です。

 修正案への賛同については、道路拡幅に対する見解として、どのような根拠を持つに至ったか?の違いですが、本来は見解の相違の部分をできるかぎりお互いに理解しあいながら一番いい道筋を探していくのが望ましいはずです。「マンション建設計画」を業者本位で進めてもらいたくないというのは私たちの会派も同様だと思いますし、おそらく行政も同じ立場だと思います。…少なくとも担当者に何度も説明を求めた限りにおいては決して地元住民をないがしろにせず対応していることはわかります。(残念ながら開発許可権限が市ではなく都にあり、ここが行政にとっても議会にとっても住民にとっても不幸なことなのです。)

 予算に対する挙手は今日ですが、議会最終日に予算に対する意見討論を行ないます。その中で会派としての態度を明らかにしたいと考えます。しかしながら、会派やらなんやらと言っている時代ではなく、私はもっと議会として議員全体がどう連帯を図っていけるのか、もっと議員同士での議論を深めるように議会改革をしなければ、首長権限に牽制をすることなんてとうてい出来ないことだと思っています。
 今までの地方議会の在り方そのものから脱皮したくてたまらない…これが私の切なる思いです。そのためには艱難辛苦、紆余曲折を味わいながらも何とか二元代表制としての本来の姿に近づいていきたいものです。

投稿者 hisaka : 2004年03月17日

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