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2003年12月16日

訃報

 市長の片腕的存在、渡辺市長を就任以来支えてきた古藤純一助役が今夜お亡くなりになりました。

 行財政再構築プランについて、内容は別としても、とにかく職員含め連日連夜、休日も返上して、非常に激務をこなしていることを耳にしていました。そして、特に事務実務上での実質責任者としての助役は調整役として気苦労の多い立場であったのでしょう。性格的にも生真面目な方なのでそのストレスはものすごく大きかったのだと察します。
 正直、言葉が見つかりません。改めて、私は今、「働く」ということを考えさせられています。
 
 事態はいつも通り、淡々と議事が進められている午後に起きました。今日は多摩市の今後の方向性を打ち出した「行財政再構築プラン(素案)」に対する全員協議会でした。今日と明日の二日間での開催。通常の定例会とは異なるイレギュラーな日程です。
 実質ナンバー2の立場である助役は議場では答弁に立つことは滅多にありませんが、要所要所、市長が答弁を求められた時や事務実務上全般で重要な判断が求められる答弁などには発言をします。今日も午前中から、特に行財政の危機を回避するためにと練り上げられたプランに対する議員の質問に、言葉をひとつひとつ選び、丁寧な答弁を繰り返していました。
 そして、午後2時を過ぎた頃、再び助役が答弁に立ったのでした。理路整然と口調も変わらずにしっかりとしているように見えました。ところが、突然に「どさっ」という音とともにその場で倒れてしまわれたのです。議場には激震がはしり、傍聴者も含め、その一瞬の出来事に凍りつきました。
 とにかくすぐに救急車をと呼んだのですが、多摩消防署は議場の窓からも見える距離であるのに、なかなか救急車が来ず、消防署の隊員が駆けつけたのは20分ほど経過をしてからでした。もちろん市役所では保健師がいるので、それまでの処置は講じました。誰もが救急隊員がなかなか到着しないことに焦りと苛立ちを覚えたように思います。しかし救急車も署から出払っていれば即対応できないことのです。さらに私たちは呆然としました。遅れ馳せながらレスキュー隊が正式に到着しましたが、そこでもまた、市役所のエレベータが狭く担架が入らないという不便さを思い知ったのでした。

 緊急事態に全員協議会も今日のところは終了し、明日にということで議会運営委員会の結論が出ました。行政側も議会側も動揺が大きすぎて、進行は難しいと言う判断です。

 そして、あまりにも痛々しく、悲しい現実がつきつけられました。私は助役の死が残したメッセージを受けとめたいと思います。心からご冥福をお祈りいたします。

投稿者 hisaka : 2003年12月16日

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