« 「政治生命をかけた改革」 | メイン | 記憶をたどって・・・つぶやき*その壱* »

2003年12月03日

プラスチックごみをどうする?

 今日はごみ、特にプラスチックごみの処理に対する質問が続きました。プラスチックを燃やさないでという立場と燃やすことを認めるという立場からの質問。一体行政はどうやって回答をするのかとちょっと楽しみでした。
 実際に、現在のところプラスチックごみの多くは焼却処理されているそうです。「看板に偽りあり!」と訴えていた議員は、やはりせっせと家庭において分別している市民に対して現状を正しく伝えるべきだと主張していましたが、私もその通りだと思います。私も今まではなるべく細かく分別をしていましたが、例えば納豆の容器もきちんと洗えば燃えないごみで納豆菌でネバネバしているものが付着しているなら燃えるごみへ・・・と言われてから、洗えば洗ったで水が汚れるしなあ・・・と思い、どっちもどっちだと迷ってしまうので、なるべく紙パック入りの納豆を購入するようにしています。
 
 さて、この現状・・・つまり分別された燃えないごみ類であっても、焼却しているのであれば、その実態に合わせてごみ収集のルールを変更すべきだという立場の議員は、清掃工場の性能高さを主張し、安全性を強調するわけです。確かに昔とは違うとは思いますが、しかしながら100%安全だとは言いきれるわけがありません。けれどもきっぱりと断言されてしまうと「恐れ入りました・・・」となんだか萎縮してしまい案す。もちろん私はプラスチック燃やさない派ですが、最終処分場や埋め立てにも限界が見えている中で「だったらどうするんだ?」と言われた時、対案がなく、結局はプラスチック系を使わない、買わないという選択を広げて行くことでしか解決できないわけで、啓発活動を続けるとしか言いようがないところが説得力不足。啓発運動をしている間にもプラスチックごみは増えつづけるわけで、どうしようもない状況があるからです。本当に深刻です。
 
 となれば、やはり選択肢はプラスチックを焼却している現状を市民に伝え、それでいいのかどうかを市民が決めるということになるのでしょうか?市民的合意が取り付けられればプラスチックを堂々と焼却してもいい…。仮にこんな結果となってしまったら、プラスチック使用に歯止めがかからなくなる恐れがあります。プラスチック類を燃やすと言うことが苦渋の選択であると判断できる人がどれだけいるかというところにかかっていると思います。しかしながら、私はまだまだ人間は便利さを追求しているので分別ルールが変わり、面倒くささがなくなることに喜びはあっても、プラスチックを燃やすことに心を痛める人は多くないと考えています。
 
 ごみの現状は私たちのライフスタイルそのものを示していると思います。本当の豊かさを追求しましょう・・・ということが近頃よく言われることですが、もし一人一人が「本当の豊かさ」に気がついた時、私はごみは自然に減る方向に向うと考えています。その意味で、ごみは暮らしを映し出す「鏡」である・・・私はそう捉えています。

投稿者 hisaka : 2003年12月03日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/551