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2003年11月17日

‘正しい?’性教育のあり方

 都議会で養護学校で行きすぎた性教育が行われていると問題視され、その後、都教委が立ち入り調査に入るなど「性教育」が後退しそうな気配すら見せています。

 性犯罪や性の低年齢化が進んでいるからこそ、正しい性の知識を持つことが重要だと考えていますが、しかし、じゃあ一体どのような性教育が望ましいのか?というのは暗中模索なようです。今日は、日本の性教育の草分け的存在である世田谷区にあるアーニ出版で東京ネットの学習会があったので出かけてきました。

 まずは性教育プログラムのビデオを見ましたが、性教育は「どう生きるか」「大切ないのち」と言うところが根幹にあり人権問題にまでつながっていくのだという話を聞きました。
 おそらく「性教育」などときくと思い浮かべることは様々かと思いますが、例えば「きれいに手を洗う」ということも性教育の一貫でこれは「処置教育」部分に属します。処置教育とは簡単に言えばその他「月経の手当て」というのも同様です。そして「生理教育」「生殖教育」が大きな柱です。男女の違いを教えるだけなら「生理教育」、出産を教えるのは「生殖教育」という風になりますが、性教育と言うのは奥がとても深く、どういう出産方法を選ぶのか?と踏みこんで話すところから始まるのです。随分と「性教育」とは小難しいのだと感想を持ちました。
 要は「性を通して何を伝えるのか?」が教育者としては大切なことなのです。性教育の中で南北問題だって語ることが出来る・・・・とお手本を見せてもらいました。

 アジアの貧しい国ではたくさんのゴムを生産していますね。その生ゴムを日本に輸出して、日本ではコンドームを作っています。日本のコンドームは安全に作られていますが、そのコンドームをアジアの国の人たちは高くて買うことが出来ないのです。そして、自分たちは避妊用具がないために子どもが次々と生まれてしまい貧困から抜け出せないままだったり、または村中がエイズというようなところもあるのです。

 みたいな感じです。これは素晴らしい「性教育」に一例と言うわけです。なるほどねえ・・・・と目から鱗でした。そしてもう一つ印象的だったのは「男女」の言葉は使わないとのことでした。なぜならいつも「男」が先だからそうです。私はあんまり、そういうことには拘らないのですが、拘らないという感覚がよろしくないのでしょうか?
 しかしながら、なぜ女性が初潮を迎えた時にお赤飯を炊くのに男性の時には何もないのか?という問いかけには「そう言えば、そうかもなあ・・・。」と思いました。とてもつまらないのですが、昔、「ちびまるこちゃん」のマンガでまるこパパが「ふーん、まるこはまだヒラ社員かア・・・いつになったら所長さんになれるんだろう。」と言っていたセリフを思い出してしまいました。

 とりあえず私がわかったことは「性教育」の内容がとても奥深いものであると言うこと。そしてきちんとした「性教育」を教えられる人になるためにはそれ相当に訓練が必要そうだと言うことでした。それにしても性教育のための海外メイドの人形は顔やカタチはとてもかわいらしく、飾っておきたくなるわけですが、その仕組みは案外グロテスク・・・高校生の時にも同じ印象を持ちましたが「親しみやすい顔をしている人形なのになあ・・・」とため息が出てしまいました。

 性教育に対する考え方としては日本人的な「奥ゆかしさ」みたいなものがとてもハードルを高くしている気がしますが、その気持ちをまずは大人たちが取り払っていかなければ、とりあえず現代っ子には対応できないというのは誰もがわかる事実ではないかと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年11月17日

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