« TAMA CINEMA FORUM~市民の手づくり映画祭 | メイン | 生産緑地の話 »

2003年11月24日

土曜学校manaVIVA!

 メーリングリストで面白そうなパネルディスカッションがあるなあと東京大学の駒場キャンパスまで足を運ぶと、なんと学園祭中。門のところから勧誘ビラを配布している学生や、たくさんの出店の中から「おいしいよ~!買ってくださ~い!」との声がかかります。何だか恥ずかしくなりながら、そして懐かしみながら会場までたどりつきました。

 土曜学校manaVIVA主催で「生まれ変わる教育」というテーマで3時間ほど繰り広げられた討論はとにかくゲストが豪華。市川伸一東大教授、伊藤眞治公文式副社長、寺脇研文化庁文化部長によのなか科の藤原和博さんと土曜学校manaVIVA校長の鈴木寛さん。それぞれから、子どもたちのをめぐる環境の変化やそれに対応してこれからどんなことが求められているのか?という話を聞くことが出来ました。
 私も日頃からそう思ってきたのですが、「学力低下論争」については不毛な論議としてすっぱりと東大教授に言いきってもらうとなんだかすっきりしました。そもそも「学力って何?」ということを論じることに無理があるからです。ペーパーテストで図れるものだけが学力か?といえばそうも言いきれない部分もあるし、その一貫で最近は「生きる力を育む」ことが多いにクローズアップされています。もっと至近では「人間力」というのでしょうか?市川教授はさまざまな業界の人たちと「人間力戦略会議」という名称の会議のメンバーだそうです。ちなみに人間力とは「人間として社会の中でよりよく生きようとする力」なんだそうです。(こういう定義になると教育像を広げることになるなあ・・・・と市川教授は一応理解されているらしい)

 とにかく、どこでも言われていますが、地域の教育力を高めて、そして家庭まで巻きこんでいくような流れが必要なことは確かです。それにしてもパネラーが面白い取り合わせ。公文式の副社長からは公文の教室に不登校児も来ているそうですが、その子どものフォローとして公文の指導者と学校の校長先生とが連携をとっている事例もあるやの話を聞き、そして公文が地域の学び場の一つとしてただ単にプリント学習するだけでない新しい方向性を探ろうとしているのかな?と感じられてことで、今日招かれている理由もちょっぴり理解した気がします。

 私が印象に残ったのは「失敗だってモデルになる」ということです。今の社会は「失敗を許さない社会」と民間校長で話題の藤原さんの指摘には同感しました。私も常日頃から「失敗は成功のもと」だと思わないとやっていれられない!と前向き志向になることを心がけているからです。得てして前例踏襲型の行政は失敗を嫌うわけですが、失敗を嫌っていると新しい発想も生まれにくいし、チャレンジ精神が削ぎとられてしまい元気が失せていくと思っています。それは学校も同じ。藤原氏は「先生だって公務員だからねえ」と一言付け加えていらっしゃいました。
 
 ところでこの土曜学校manaVIVA!は月に二回ほど港区にあるNPOハウス(学校跡地)で開催しているそうです。大学生が中心になっていておにいさん、おねえさん、おじさん、おばさんなど「ナナメの関係」(「タテの関係」は親子、先生生徒/「ヨコの関係」は友達)をつくりながら、子どもたちと一緒になって学ぶ活動をしています。
 今、「こういうのがいい」というモデルそのものがコンクリートされているわけではありません。その意味では学びの設計を市民と子どもたちが一緒に考えていくことが必要・・・これが結論だったように思います。

 今までのカタチにこだわらず、新しい試みで教育をつくっていくこと。教育というのは私は「公」だと思います。どこが主体になろうが子どもたちを育てていくのはパブリックなこと。その意味では地域での新しいチャレンジがつまらない規則などにより頓挫してしまわぬよう工夫することが求められているのかもしれません。

投稿者 hisaka : 2003年11月24日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/542