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2003年10月28日

学校を刑務所にしてはいけない!

 朝からあいにくの雨降り。肌寒い中での総選挙がスタートしました。私も雨を払いのけながらポスター貼りをしました。私の選挙の時にも、みんなが分担をしてポスターの掲示をしてくれたんだなと思いながら、しっかりとポスターを貼りつけしました。その後は選挙カーに乗って、うぐいす役をしました。雨の中の選挙戦はとても体にこたえます。初日のこの天候で候補者が体調を崩さないかが心配です。きっとどの選挙事務所でも同じ気持ちなんだと思います。
 私は選挙の手伝いが初めての経験なので、こうやって周りの人たちがあっての候補者であることを別の角度から認識させられます。どこか自分自身の気持ちが初心に戻ったようでした。

 今日は、実質的に第一小学校の建替えプランの基本計画策定の最終回でした。前回までの意見を参考にしながら、設計会社の素案に取りこめるところなどを整理した最終案に限りなく近い素案が示されました。市民の意見をどのように反映させたのか、そして反映できなかった部分についても説明を受けました。大方、メンバーの合意はとりつけられたようです。
 さらに、今日は東洋大学の長澤先生がゲストでいらしてくださいました。これも検討委員会のメンバーの伝手があってのことでした。先生は「学校の安全」とりわけ‘防犯’という視点を取り入れた建築に造詣が深い方のようで、大阪の池田小学校にも幾度か足を運ばれた経験もあるそうです。

 今、「地域に開かれた学校づくり」がさかんなわけですが、地域への開放と学校の安全性の問題がいつも天秤にかかるように思います。両者は相反するというわけです。しかしながら、先生によると、むしろ地域開放を進め、地域の人たちの眼が学校に向けられることにより、学校の安全性も高まるとおっしゃっていました。私もその意見には同感でした。
 そして先生は防犯性を高めるために監視カメラの導入がぐっと進みそうな流れについて、「学校を刑務所にしてはいけない」とのことばを紹介してくださいました。もちろん安全性を担保するのは最低限の条件で、無防備でさらけだすことは危険です。

 先生は「自然な=見通し」・・・つまり、監視しようとしなくても、自然に目が行き届くような空間配置をすることの重要性を強調していました。小学校の高学年になれば少しずつ「自己責任」を自覚することも出来るけれど、それ以前の子どもたちについては大人たちが全面的に「安全確保」するという視点を持たなければならないのです。

 そしてもうひとつ「監視カメラや金属探知機では守れない」、こちらは機械設備で安全性が確実に担保されるわけではない・・・ということを表した表現だと思いますが、私はこれにも大きくうなづけました。

 最近は何となく物騒で、安全なまちづくりを早急に進めることについて市民からの要望も強い今日この頃です。でも本当の意味で安心感や安全の‘まち’に変えていくためには、コミュニティの在り方が大きく関わってくるようです。先生の示唆に富んだ話の中心もここにあったと思います。

 ところで、昨日の朝日新聞の夕刊に大きく採り上げられていた聖蹟桜ヶ丘駅前のライブバーのご主人クーペさんのCDを入手しました。クーベさんの少ししゃがれた渋い歌声に懐かしい音色は心に響きました。
 単身赴任中の父はとてもオンチですが、最近、カラオケの練習をしているらしく、少し上達しているそうです。今度、その声を聞いてあげなくちゃなと思いました。
 クーペさんのCDはオススメです。ぜひ、聞いてもらいたいなと思います。「感謝の気持ち」が素直に湧いてくる歌です。

投稿者 hisaka : 2003年10月28日

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