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2003年10月27日

政治的判断・・・ということ。

 多摩ネットで市民自治基本条例のこと、それから来年度に向けた予算要望についての議論をしました。
 木曜日に総務常任委員会が開催される予定です。継続案件の「自治基本条例」が議題になる予定なので、ネットとしての考えかたをまとまなければなりません。
 ネットの会員の中には、市民提言案の作成に関わった人が数人います。個人として関わってきて、それぞれの市民自治基本条例に対する思いがあるわけです。けれどもイチイチ政治的動向を意識して関わっているわけではなく、あくまでも自分自身の興味関心の領域のなかで、新しい時代の枠組み(ルールづくり)をしてきたまでです。そのスタンスは私も同じです。
 ところが、ひとたび生活者ネットワークという政治団体における判断をどう下していくか?となれば、やっぱりそこには「政治的判断」を介入させなければならないのでしょうか?それについて議論が分かれました。つまり、条例案が提出された時に賛成なのか、反対なのかを決めるのには「政治的判断」も必要になってくるというのです。
 そして、もちろん私にもただ個人として、「つくる会」に関わっていた市民としての見解ではなく、議員として(正しくは生活者ネットワークの代理人として)の判断が求められます。つまり個人的な感情ではなく、とてもとても客観的な立場になり、今までの動きやもちろん条例案を見ながら、最終的な結論を下していかなければならないのです。

 政治は「権力争い」だなと思います。例えば、明日から総選挙が始まりますが、「政権交代」ということばに表されるように、やっぱり政治を動かしていくためにはパワーが必要です。「どんなに正しいことを訴えていても、権力に近くなければ、実現できない。」そういうことがたくさんあります。
 市民はいわゆる政治的権力を意識しながら動いているわけではなく、市民活動のほとんどは身近な自分たちの生活の中にある課題解決のために動いています。そのことが時に「政争の具」に使われることもあります。例えば「環境問題」などではそういうことがよくあります。よく解釈すれば市民が政治を創っていく・・・象徴とも受け取ることが出来ます。でも、私は市民自治基本条例がそうなって欲しくないという思いが強くあります。とは言え、この問題が残念ながら、私の思いとはまったく逆方向に向かっていることを感じています。これが「政治的課題」になり、政治的な判断をしなければならないとき、私は自分を一体どうやって納得させればいいのかと考えているところです。
 まだネットとしても結論が出ていないのですが、これからの議論はとってもシビアなものになることは間違いありません。

投稿者 hisaka : 2003年10月27日

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