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2003年09月24日

市民には継続性があるんだから。

 午前中は手をつなぐ親の会の懇談会に出席しました。昨年に引き続き2回目の試みです。全議員に呼びかけをし、会のメンバーとざっくばらんに意見交換しながら、ともに多摩市の障害児(者)福祉を考えようという目的で開かれます。
 昨年もそうでしたが、当事者の声を直接聞ける場所は本当に貴重ですし、特に今回も議員の半数13名が出席をしているというところで、私は議員が場の共有をしてることがとても有意義なことだと考えています。
 今回は行財政診断白書が話題になりましたが、「市にお願いに行くと、何でも白書を理由に『財源がないからすみません』みたいに話す前にシャッターをおろされてしまう感じ」という職員の応対がとても冷たいとの話しがありました。もちろん「ない袖は振れない」わけですが、そのことは既に市民も承知しています。「親たちも何をすべきなのか、行政に全てを頼るつもりはない(頼れる時代ではない)」と認識して今後の活動を展開しなければいけないと考えている立場ですが、それでも行政に頼らねばならない部分もあるわけです。詳しく何を要望したのかについて中味まで聞けませんでしたが、「お金がないからすみません」という返答はあまりにも簡単すぎます。

 支援費制度の使い勝手の悪さ、そして特に市内の作業所などは満員で、現在の中学生や高校生たちの将来を考えると行き先がなくて不安な状況、それから市内には障害者対応の学級や学童クラブが不足気味であり、そのために親が送迎をしなければならないことなど問題点が出されました。特に、「送迎」の時間帯は時間割によってまちまちで、しかも中途半端な昼下がりなので、働きたくても働けない状況も生まれているようです。私はこれは解消できるようにしたいなと思いました。NPOの移送サービスなどもありますが、支援費制度は学校に通っていると使えないそうで、親の負担も課題です。

 参加した議員がどんな感想を持ち帰ったのかはわかりませんが、今日の会の冒頭では議員が一人一人挨拶をしました。その中でみんな「ナマの声が直接聞けることはありがたい」と言っていました。もちろん私もそう思います。でも私は「聞くことはいくらでもできるし、今までもそうやってきたと思う。」と言いました。やっぱり聞いた後、どうしていくか?が問われています。
 ある意味でお金がないから・…と言い訳できないのが「障害者福祉」の分野だと思っていますが、必要なサービスに優先順位をつけていく中では、どうしても見直さなければならないところが出てくるように思います。そのときに私自身もきちんと現況を踏まえて判断ができるようにしておかなければなりません。当事者の意見に公平に耳を傾けたいものです。

 午後から中央大学の広岡守穂先生のゼミに顔を出しました。政策ゼミのPRに行きました。NPOの話になり、先生が言いました。「行政は担当者が変更するからいいわけだけど、NPOとか市民たちは継続して活動をしているんだよね。歴史があるんだよ。だから行政担当者は昔のことを知らなくて飄々としているんだよね。でも市民側は違うんだよ。行政と闘ってきた歴史をね、きちんと受け継いでいるんだからね。時には怨念みたいになっている部分もある。」
 なるほど、そうだなと思いました。行政は継続性がある…と言いますが、担当者が変わっても一見、仕事の上では継続しているかもしれないけれど、市民対担当者では新たに人間関係から作らねばならないわけです。行政と市民とが協働する時代には人間関係が最も大事です。市民の持つ継続性に行政側がどう対応していくのかが鍵だと感じます。
 
 午前中の懇談会でも平成11年に市にお願いし、議会でも採択された障害児の卒後対策に関する陳情について、行動が進んでいるようにも思えないし、次の一歩が全然見えなくて…という話がありました。現在に至るまでには、議員も入れ替わっているし、行政側も担当者が変わっているけれど、市民の置かれている状況は変わらないままです。この継続性をどのように受けとめるのか…これは私自身の課題でもあると感じました。

 そして今日は行政の「自治基本条例」の説明会でした。ほとんど顔見知りの人ばかり8名が参加していました。あまりの少なさに行政も残念だ…と感想を述べていました。行政だけでやろうとすれば人が少ないのは当然だと思います。市民が主催するからこそ、人づてに噂が広まり、人が集まるのです。そこが市民力と行政の力の大きな違いです。

 でも、正直私も説明会に行ってどっと疲れてしまいました…。

投稿者 hisaka : 2003年09月24日

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