« リーダーの手腕 | メイン | そんなのってあり?! »

2003年09月08日

全く意志疎通が図れていない質問

  今日の質問について、「行政の答弁の姿が目に浮かぶから、とにかくこちら側の意見を述べるかたちに…。」と言われていました。私も、おそらく質問と答弁がどこまで平行線なんだろうとは覚悟をしていましたが、やっぱりその通りでした。

 もちろん質問の仕方を変えれば、もう少しいい答弁を引き出せたのかもしれませんし、その意味では私自身の技術不足もあるのだと思いますが、それとは別にしても、行政の発想が全く市民側に立っていないことが誰の目からも明らかだと感じました。

 こちら側の質問には全く答えず、チンプンカンプンなことを答弁してくる行政に議員も傍聴者も失笑する場面もありました。そして私も途中で「本当に全く噛み合っていませんね。」と言ってしまいました。やりとりが全く噛み合っていないことを自覚しながら、こちらの伝えたいことだけを伝えるのは、質問者としては非常に苦しいことです。
 「政策提案型」での質問ではなく、行政のダメ出しをするような「糾弾型」の質問、しかも行政側にもまともに回答してもらえないとなると(わざと回答してもらえない)、むなしさばかりを感じてしまいます。味のなくなったチューイングガムをいつまでも噛み続け、果てにはあごが疲れきる…という感じです。例えば「市民提言案の前文で、市民が一番主張したかったのはどこだと思いますか?」との質問に、聞いてもいないのに「行政素案のなかでは○○と××を加えて、より厚みを持たせました。」という回答が来るわけです。二度聞きましたが、結果は同じでした。


 私自身は今回の市民自治基本条例については、とてもじゃないけれど、行政側の進め方には不満だし、行政が自覚症状なく‘市民’という言葉を取り外したことが問題だと指摘をしました。「行政と市民とのまちづくりのバイブル」とも言われる第4次基本構想の議事録などを読んでみると、そこに書いてある市民自治を推進するためのルールは、明らかに市民提言案が指向する方向性であるべきで、提示された行政案の内容は構想の精神からは逸脱しているからです。でも、行政の認識は「基本構想の時の考えとはまったく変わっていない。」とのことでした。
 もちろん「変わっている」なんて答弁はできないはずです。なぜなら、基本構想は議会の承認を得て作っているので、行政だけで勝手に変えることはできないし、もし基本構想を変更するのなら、議会の承認が必要だからです。基本構想が議決される過程では、行政側は、あくまでも「市民自治」の確立として押し通しています。そして、そのことを議会としても認めているにも関わらず、ヤジでは「市長が変われば変わるんだ」と言う声も聞こえてきました。そんなに簡単に変わってしまうのでは「バイブル」とはなりません。構想はただの計画とは違います。その認識も新たにしてもらいたいと思いました。
 
 市民主権という考え方は、既に多摩市の福祉オンブズマン条例の第一条設置目的の中で使用されている言葉です。でも、そのことを尋ねても、「把握していませんが…」というかたちで返答されましたが、把握していないこと自体が問題だと感じました。なぜなら、何のために第三者機関であるオンブズマンを設置しているのか理解していないことになるからです。
 既にこの条例の中で「市民主権の理念に基づき」がうたわれているわけで、普通に考えれば行政内部で「市民主権」の考え方は一定の整理がされているはずです。ただ単に耳障りのいい言葉を並べて条例は策定されることはありません。厳格に運用するために文体を変えたという説明もあたように、だからこそ市民提言案は丸ごと行政用語に書き変わっているのだと思います。市民自治基本条例の中に「主権者としての市民」を明示することは何ら不思議なことではなく、当然のことだと主張しておきました。

 今日は一方的に自分の意見だけを述べました。これでは質問になっていないように思いました。掲示板でのご指摘通り「暖簾に腕押し」でした。でも、それで泣き寝入りをしたくはありません。全く話の通じない行政側に少しでも考えを伝えるためには、自分自身の研鑚をまずは積む必要がありそうです。

投稿者 hisaka : 2003年09月08日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/465