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2003年09月02日

「行財政診断白書」への意識

 行財政診断白書についての全員協議会の2日目。昨日からずっと考えてきたけれど、いろいろな問題があり、2~3ヶ月間に膨大なデータを集めて分析をしてまとめあげたという白書。これを作成した特命プロジェクトチームの担当者の苦労はたぶん計り知れないと思います。でも、私はやっぱりこの白書が一体誰のものなのか?何のためのものなのか?白書の受け止め方に市民、議会、行政職員も含め、みんなの温度差を解消しなくてはならない気がします。

 私は「たぶん、財政危機で大変なんだろうなあ…」というような受け止め方では不十分だと思うのです。ある市民の方は市民説明会に出たけれど、市長や部長の説明の仕方を聞いていても「他人事のようにしか聞こえなかった。」というのです。全員協議会の時と同様、市民が白書について質問をしても「白書に書いてありますが・…。」「今後のことはまだこれからです。」という発言に留まってしまうこと、そして例えば果たして重点検討事項にあげられている11事業等を見直して、一体どのくらいの歳出削減を狙っているのかということ、自分の実生活がどう変わるのかということ…何もわからなかったというのです。

 市長は「今なら間に合う」と言います。でも本当に今なら間に合うのでしょうか?この表現はとても危険です。「間に合うんだったら、いいじゃない…」と思われないでしょうか?
 「どうしても間に合わせなきゃいけない」…これが私の受け止め方です。もっと危機意識を持たなくてはいけないと思います。職員に何を求めるのでしょうか?議会でのやりとりを聞いていると、意識改革の重要性は感じているようでした。でも、どう進めていくのでしょうか?そのくらいの持論は述べてもらいたかったと思います。
 改革をしようとする市長の「覚悟」というのは手当を減らしたり、新人採用を凍結するだけで示せるものではありません。
 
 ここまで深刻な財政危機について、私自身はいろいろと想定できなかった物理的な影響もあると思います。行政運営ついついては、もちろん現市長に全責任があるわけでなく、むしろ苦しい時期に引き継いだという点では同情する部分もあります。でも、その上であえて言いたいのは、やっぱりこれまでの行政運営のありかたそのものを総括し、その反省点を示してもらいたいと言うことです。
 そして、サービスが削減されることで影響を受ける人もいるわけです。この改革は市民に痛みを分かち合おうとはしていない…という議員の発言もありましたが、私はある意味で市民に我慢してもらわなくてはいけないところがある…からやっぱり「痛み」は生じると考えます。
 だからこそ、極端に言えば「謝罪する」ということが必要だと思うのです。たった一言「申し訳ありませんが・…」ということです。議会の中でもそのことを求めましたが、予想通り、「今後、努力する」という部長の答弁に終わってしまいました。
 市長が市民に謝罪をするというのはそれこそものすごい一大事です。とても覚悟がいると思います。政治家は時に決断を迫られるとすれば、私自身は市長の持っている覚悟の程をどうやって職員や市民に伝えていくのかで全てが決まると思います。白書を一人一人が自分のもの、自分のこととして受け止められなくては、本当の改革は進んでいかないと思うのです。継はぎのように、行き当りばったりで終わってしまうのかどうか…。
 いずれにしても、この白書をもとにして、現場で市民と直接対話しなければならない職員たちは市民に頭を下げるのです。助成することを断わり、補助金をカットする…矢面に立たされる職員は大変なのです。

 事実確認をすれば「現市長は昨年はじめて就任した」ということ。誰しもが現市長を責めることは出来ないのです。これまで行政機関をきちんと監視してこなかった議会の負う責任も問われると思います。…そのことが「やっぱり政治家って」という政治不信へとつながるかと思うとそこに身を置いている自分に正直、ため息をついてしまいます。

 この白書は「市民のもの」です。白書を出した意味について、私自身は「行政の内部努力」の限界を示していると考えています。行政内部だけで改革が出来るなら、白書はなくても良かったのです。もし、今までも情報の共有という部分で白書を毎年毎年作っていたのなら話は別ですが、改革のキーワードが「情報の共有」・…そしてそのための白書。財政が厳しくなって初めて、市の財政状況が公表され、情報共有が進められてようとしていることには複雑な気持ちです。

 本来は「情報共有」ってすごくうれしいことだと思います。市民が行政と同じように情報を持ち、そして‘まちづくり’を進められるベースになるからです。でも、今回の「情報共有」は不安のをかきたてるほうが先にきてしまったことには残念です。
 でも、残念な気持ちや諦めてばかりいられない。前向きになれる材料を探しながら、私自身もこの状況を受け止めて、もう少し古い時代からの多摩市の財政状況を見ていきたいと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年09月02日

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