« 手をつなぐ親の会研修旅行 | メイン | 限界はあるかもしれないけれど。 »

2003年08月17日

地域で支える仕組みをつくる

 2泊3日で手をつなぐ親の会の研修旅行に連れていってもらいました。昨年に引き続いて、ボランティアとして参加させてもらっていますが、ボランティアと言うよりは私にとっては夏休みのお楽しみイベントで、パソコンがないだけでも随分なリフレッシュになります。親の会は知的障害児を持つ市内のグループですが、稲城市からの参加者もいて、研修会では稲城市の状況なども聞くことが出来て、有意義だったなと思います。それにしても3日間とも大雨洪水警報には参りました。
 
 去年も参加したこともあり、成人部に所属しているメンバーとは顔見知りで、ほとんど友達と一緒にバスツアーに出かけている気分です。中に小学校の時の同級生がいることが、私がこのツアーに参加する一番の動機で、すんなりと会になじめる大きな要因です。「友達感覚」で参加をしているので、ボランティアであることすら忘れてしまいます。

 「『理解できる人』が譲り合えばいい。障害者が道の真ん中を歩けるようにしなくてはならない。」と教えられて育ちました。今の日本は点字ブロックにしてみても、非常に遠回りに設置してあるように感じます。バリアフリーとは言っても、どの視点に立ってバリアを取り除こうとするかが重要なのに、そこの部分の議論が不十分で、一応バリアフリーの体裁だけ整えてあるだけのところも少なくありません。
 さて、『理解できる人』が譲り合うと言うことですが、3日間だけですが一緒に行動をすると障害者どうしで支えあっていることが本当によくわかります。年長者は年下の子どもの面倒を本当によく見るし、ひとりで出来ないことは誰か仲間を探して一緒に協力し合おうとします。聞き分けることが出来ない子どもがいれば、ちゃんと年長者が言い聞かせたり、年長者が子どもに対しては本当によく譲ってあげる姿を目にします。

 障害者という一括りで物事を考え、処理しようとするのは間違っていると感じるわけですが、一般的にはそのことはなかなか理解されにくく、しかも障害者施策など制度設計をする時には難しい部分です。障害者と言っても、本当にみんながそれぞれの個性を持っている中で、個別のニーズに応えられる制度にしていくために最も不可欠なのはコーディネーター役をしてくれる相談員や係員だと考えています。この4月から支援費制度がスタートしていますが、この制度には介護保険制度で言うケアマネージャーような存在がないことは制度の欠陥だと思っています。個別のニーズに合わせて選択をし、負担をしていくという考え方を否定するわけではありませんが、制度が機能していくための環境はまだまだ不十分です。

 今回の研修旅行でも一番の問題は「親亡き後」という話でした。兄弟にしてもそれぞれ自分たちの生活を抱えている中で、誰が彼らを支えてくれるのかという不安を抱えている親が多いのです。もちろん多摩市の財政難にも話が及び、今後、障害者対策がどのようになるのかも気がかりなところです。多摩市の障害者施策は他市よりも充実しているとされています。「…充実しているから、じゃあ、他市並みにしていくのか…?」と言えば私はそういう比較検討の仕方はナンセンスだと思っているので、多摩市の方針として‘まちづくり’の特色をどのように打ち出していくのかが問われている部分だという考え方を伝えました。市民の意見や、それこそ議員の主張に耳を貸しながら、市長が方向性を明示しなければならないと思います。でもその行方を見守るのも、行方をつくっていくのも当事者であることは間違いないし、その意味では「障害者」の利益というよりは、共生のまちづくり」の仕組みとして客観的な視点から、今の状況を一緒に考えていきたいと改めて考えているところです。でも「地域での助け合いの仕組み」というのは言うのは簡単ですが、とても難しいことなのです。

投稿者 hisaka : 2003年08月17日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/443