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2003年06月28日

不登校と言う選択

  青少年問題協議会の地区委員会で合同委員研修会が開催されました。市内の全17地区から人が参加したので会場のベルブホールは満員に近くなったのには驚きました。ベルブホールで講演会などを開催しても、普通はあまり人は集まらないからです。

 冒頭で「地区委員会」とは…という話がありましたが、歴史をたどると1960年(昭和35年)に条例設置された古い組織だということを改めて認識しました。なるほど「青少年」という呼び方には、「少女はどこにいったのか?」という声が聞こえてきてもおかしくないのが今の時代です。

 研修は「不登校にみる子どもの心~親の心と教師の姿勢~」をテーマに多摩児童相談所の方が講演をしてくださいました。
 私は「行きたくないのに、むりやり学校に行かせることはない」という考えがあるので、親や教師が「何としてでも通学させなくては…」とそれぞれの使命感に燃える必要はないと思っています。不登校児は色々な理由で「学校が嫌い」になってしまうわけです。学校に行かなくなったら勉強が出来なくなる…とか言いますが、それなら学校ではない場所で学習面をフォローできる体制さえ整っていればいいと思うのです。
 今日の講演の中でも「不登校を認める」という言葉が一瞬だけで出てきましたが、私もその部分には同感です。子どもが不登校になった時、大人たちが大パニックを起こしている気がするからです。まずは子どもの気持ちを最優先にして「学校へ行かない」ということを認めてあげる必要があるのではないでしょうか?大人がパニックになればなるほど、子どもも混乱して、ますます不登校になった自分に責任を感じ、どんどん気持ちが後ろ向きになっていくと思います。
 学校だけが子どもの居場所ではありません。学校は合わなくても、ほかの場所では居心地のよさを感じることもあると思います。不登校になったからといって、学校に通学できた通学できないで一喜一憂するのではなく、もっと大人たちが「子どもの気持ち」に目を向けて、大きく構えたいものです。
 私にはもちろん子育ての経験はないので、あまり偉そうなことは言えないのですが、「不登校=悪」と考えがちな大人の価値観を変えていかなくては、みんなの気持ちを窮屈にするのではないかと思っています。不登校児に対する大人の眼差しが、そのまま不登校児でない子どもたちに与える影響が大きいと考えるからです。
 不登校にみる子どもの心・…それを理解するならば、学校に行きたくない気持ちを認めることから始まると改めて思いました。

投稿者 hisaka : 2003年06月28日

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