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2003年06月27日

東京都の目指す心身障害教育

 今日は午前中、都庁で「これからの東京都の心身障害教育の在り方について」の中間まとめについての説明を受けました。
 国の動きをにらみながら、方針をまとめているような感じを強く受けましたが、「特殊教育」から「特別支援教育」へ変えていく流れになっています。いわゆる特殊教育というのは盲・ろう・養護学校や心身障害学級など「障害の程度等に応じて特別な場で指導を行う」教育のことで、特別支援教育は「障害のある児童生徒一人一人の教育ニーズに応じて適切な教育的支援の行う」体制のようです。いまいち説明を聞くだけでは違いがよくわからないのですが、このような考え方が出てきた背景にはLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥、多動性障害)、高機能自閉症の子どもたちが増加があげられています。
 多摩市には瓜生小学校に「ユーカリ学級」があり、特殊学級としての受け皿体制は一応整備されているようですが、実は全国の調査でも一学級に平均6.3%の子どもがこれらの症状を抱えながら通学している可能性があるとしています。つまり、市内の通常学級に通うLD児などへのフォロー体制はまだまだ不十分と言えます。
 これらの症状の難しいところは、医師からの観点で医学的には「障害なし」と判断されても、教育現場では「障害を抱えているのではないか。」と感じられる…という判断者の立場によって見かたが変わることです。診察の難しさもあり、判断の難しさもあるので両者とも間違っていると言いきれないのが現実です。

 『特別支援教育』体制を導入することによって目指すのは、一人一人の子どものニーズに合わせた教育の展開です。そのためには専門的な立場から指導できる人材が必要だと考えているようですが、一体その求められる「専門性」とは何か?そして専門性は教員に求めていくのか?それとも教員免許はなくても指導に足りれば対応可能として外部の専門家を求めていくのか?非常にあいまいだと感じます。
 今はモデル校として、大学や大学院との連携を図りながら「特別支援教育」を実施している事例があるそうですが、いわゆる学生レベルでの専門性だけで事足りるのかは非常に疑問だし、私自身は「指導する責任」を学生がどこまで負うことが出来るのかという点でも不安です。もちろん将来、教員を目指す学生たちにとっては経験をする場としては有効だと思いますが、いい経験を積む場所…として「ボランティア感覚」では決して出来ないという課題を克服する必要があります。(学生が参加をしていくことはとても大事だし、いいことだと考えるわけですが…。)
 私はこの「専門性」というのが特別支援教育の中で一番のポイントではないかと思っています。教育は何といても指導者の資質が最も問われるからです。

 それにしても、この中間報告書ですが、非常に素晴らしい内容になっていると感じます。けれども実際に障害児を抱えている親にとっては不安だらけの中味だとの感想がありました。それはこの報告書が行政主導で一方的に作成されたことに原因があるのかもしれません。一応、まだ中間報告段階で7月からパブリックコメントを集めるそうなので、切実な思いで障害児教育を考えている人たちの声が反映できる余地は残されているようで少しは安心しています。もちろん意見を収集するからには、きちんと生かしてもらわないと困ります。

 東京都の説明を聞きながら、多摩市の状況を思い浮かべるのですが、多摩市では今、ピアティーチャー(市独自の制度)を導入していて、よりきめ細かな指導を目指して取組んでいます。でも私は、教員を増やしたから指導が行き届くのかといえば、まるっきりイコールの関係にはないと思っています。
 一番大事なことはやっぱり指導する側の資質の問題なのです。私は報告書を見る限りにおいて、特別支援教育に転換することは悪い方向ではないと思うのですが、鍵を握っている専門家をむやみやたらに配置すればいいわけでないことを踏まえ、多摩市としての教育ビジョンをどう描くのかについて今のうちから真剣に考える必要性を感じました。
 ちなみに国の予定では来年度法を改正し、再来年度から実行に移す運びになるようです。東京都の最終報告書は今年の10月を目途にまとめる予定になっています。

投稿者 hisaka : 2003年06月27日

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