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2003年06月13日

監査委員の役割は?

 今日はとても難しい一日でした。ある人からは「政治生命にまで関わる問題だ」とも言われました。自分自身の判断を下すことへの責任を考えさせられるとともに、地方自治法で必置と決められている監査委員の在り方は見直すべきだと感じました。

 監査委員の仕事はとても重要です。地方自治法では・・・・

第百九十五条  普通地方公共団体に監査委員を置く。
○2  監査委員の定数は、都道府県及び政令で定める市にあつては四人とし、その他の市にあつては条例の定めるところにより三人又は二人とし、町村にあつては二人とする。

⇒多摩市は「その他の市」だから二人

第百九十六条  監査委員は、普通地方公共団体の長が、議会の同意を得て、人格が高潔で、普通地方公共団体の財務管理、事業の経営管理その他行政運営に関し優れた識見を有する者(以下本款において「識見を有する者」という。)及び議員のうちから、これを選任する。この場合において、議員のうちから選任する監査委員の数は、監査委員の定数が四人のときは二人又は一人、三人以内のときは一人とするものとする。

⇒多摩市は識見を有する人(識見委員)と議員(議選委員)という構成になります。

(以下参照)
○2  識見を有する者のうちから選任される監査委員の数が、三人である普通地方公共団体にあつては少なくともその二人以上は、二人である普通地方公共団体にあつては少なくともその一人以上は、当該普通地方公共団体の職員で政令で定めるものでなかつた者でなければならない。
○3  監査委員は、地方公共団体の常勤の職員及び再任用短時間勤務職員と兼ねることができない。
○4  識見を有する者のうちから選任される監査委員は、これを常勤とすることができる。
○5  都道府県及び政令で定める市にあつては、識見を有する者のうちから選任される監査委員のうち少なくとも一人以上は、常勤としなければならない。

という風になっています。

 監査委員は市長が議会の同意を得て選任を行います。その意味では識見を有する人を専任する時には議会としては通常の審議と同じ態度で臨むことが出来ます。ところが今回は議選委員の選出です。
 私はまったくわからなかったのですが、議長、副議長、監査委員は議会人事の三点セットと言われるそうです。つまりこの三役はいづれにしても議会で過半数の承認が必要なわけです。市長が議員から監査委員を選出する際にも、純粋に市長の意向だけで選ぶわけではなく、ある意味で議会との調整をしながら、最終提案をする流れになります。このことは水面下の動きをつくることにつながります。

 私が監査委員に誰を選任するかについてを初めて知ったのは、議会前の会派説明の時でした。既に市長サイドは会派説明の前の段階で、議会の過半数以上から同意を得られることを前提にしているわけで、だいたい全国的な通例を見ても、与党派から選任されるのが監査委員である・・・とも言えます。(地方議会に与党も野党もないと思うけど、何となく位置づけ的に与党っぽい感じ)
 提案された時には一瞬「あっ、そうなんだ。」と思ったわけですが、私たちの会派としては、自分たちはまだまだ経験不足だと自認しているので、他の方が監査委員に選任されることは当然だと考えていました。ただ、提案された時「なぜ、その人に決めたのか?」という部分には、少々疑問を持っていました。知らないところで議会での根回しは進んでいるんだなとは思いました。だから、本当はそこで動くべきでした。
 
 なぜなら、議員全員で誰を監査委員にすればいいのかについて話し合うべきです。議会にとって、それがわかりやすいやり方だと感じました。なぜ、私たちのところには議案の会派説明の時まで、いっさい監査委員についての情報がなかったことに不透明さを感じたのです。そのことを問題提起したら良かったわけです。(そうしなかったことが最も反省すべきところ)

 その後、私は監査委員制度についての研究論文などを読みましたが、やっぱり今の監査委員の選任方法はおかしいのです。

 そもそも、議会はそれ自身で監査機能を果たすべきなのに、なぜ監査委員に議選委員が存在するのかがまず私には納得できないのです。とはいえ、現在の法律では議選委員の設置を求められています。議選委員は自分自身が監査を行うのに予算や決算の審議に参加していることも不思議です。もちろん、監査委員は監査委員の立場、議員は議員の立場だから全く別次元だと言われるかもしれませんが、私は、議員は議会活動のなかで、きちんと監査の活動をすべきだと思うのです。だから、議会から監査委員を選出する必要性に疑問を持つのです。

 いづれにしても行政を監査するのに、市長が選任した人…という部分からして疑問です。つまり外部監査制度を導入しなければ、本当の意味での監査を確立することはできないのではないかと思っています。法律に異議を唱えたいです。とは言え、ある市では議選委員は与党議員から選出するのは好ましくない!と決めているそうで、これは十分取り組み可能です。監査委員の独立性をどうやって保持していきたいか?という部分における行政や議会の態度によるからです。

 さて、今日は実際に議案が提案されたところで、「休憩」がなされ、審議が一時ストップしてしまいました。私たちの会派でも、ギリギリまで監査委員の提案に同意するかどうか迷っていたからです。
 会派の部屋に戻って、話合いをしている時に、一瞬、部屋の外に出た瞬間、傍聴に来ていた女性の方二人からとても厳しい言葉を言われました。「まったく、あなたには期待してるのに、本当に残念だわ。何やっているの。忙しいのをさいて、傍聴に来てるのに休憩をとるなんて、本当に失礼な話ね、市民を何だと思っているの、みんなに言いふらしてやるわ。あなただって、談合みたいなことやっているじゃない・・・・」
 もちろん返す言葉はなく、私は黙って、帰って行く二人の方の背中を見つめました。「今、どう判断するべきなのか?」と肩がどっと重くなりました。

 結局、私は最後まで議選委員の選ばれ方に透明性がなく、市長提案とは言え、どこかで議会の多数派の人の了解を得ていることだけはわかるのですが、それをどのように行ったのか?というところに拘っていました。議員全員でオープンに検討して、誰が適任かを選ぶのがいいと思うわけですが、その過程がすっぽりと抜けているわけです。
 でも、その過程については市長、行政側がつくるものではなく、議会自身でつくるプロセスです。つまり提案をしている市長に対して、私のほうが不透明な選び方をしているではないか…という風な主張をしても、まったく無意味なわけです。そのことに気がつくのが遅すぎたなと思いました。
 じゃあ、提案されたことに対して反対するかといえば、もし反対するとしたら、きちんと対案を出さなくてはなりません。反対することは簡単だけど、反対をするなら、そのことに責任を持って、もっと適任な人材を自分自身の中で用意しておく必要があります。だけど、今日の私には、じゃあ誰を選べば一番いいのか?という提案をするまでには至りませんでした。

 結局、議場では同意できない立場の人から、さまざまな質問がありましたが、同意できない根拠を示し、それに対する市長サイドの見解を聞いただけで、「じゃあ、どうしたいのか?」・・・「どんな人がふさわしいのか(むしろ、議員は26人しかいないから、26人の中で誰が言いと思うのか)」についてわかりませんでした。

 例えば、私が年齢的にはヒヨッコでも、税理士や会計士の資格を持っていれば別ですが、議員はその意味ではプロではないので、監査委員の役目を果たすためには、‘経験’は求められると思います。そうなった時の‘経験’っていうのが、一体どんなものなのかが私には皆目検討がつかないのは事実です。ただ、私には務まらないことだけは確か…。

 こんな中で私は今日の判断を下しました。私はベストではないけど、ギリギリラインでの選択はできたと思います。反対をするにしても、賛成をするにしても、どちらにしても市民に対する説明責任が求められます。反対をしたところで、私自身が対案を出せるに至らない…ここが今日の判断のポイントでした。そして私の大きな課題でもあります。
 結局最後には市長の提案通り、監査委員の選任については賛成12、反対11で同意がなされました。
 
 同意できない立場の議員からは市長に対し、「客観的な判断が出来る人だと考えているんですか?」というような疑問が投げかけられました。でも、そのことに対する回答ってものすごく難しいと思います。誰が選任されるにしても同じような問いは発生すると思うからです。独裁政権でない限り、みんなが右に倣えになるわけはありません。最終的に、同意できない立場の議員さんが「見解の相違ですね。」とおっしゃったはその通りだと感じました。

 私の判断がどうだったのか?についての結論はきっと今すぐにわかるわけではありません。ただ、私は自分自身の判断には責任を持とうと思います。精一杯考えて、考えたあげくだからです。
 やっぱり必要なのは、もっともっとみんなにわかりやすい議論を進めることだと思います。多数決民主主義には多数派工作が欠かせないのでしょうか?こんなことばかりやっているから、私は市民にわかりづらい、見えにくい議会になってしまい、信頼をどんどんと低下させていくように感じます。
 もし私が議員じゃなければ、傍聴に来てくださった市民の方と同じようにやっぱり「何やってるの!」って怒りを持ったと思います。議場では正々堂々と議員同士が持論をぶつけ合うべきです。
 コソコソするつもりはないけれど、周りからはコソコソしてると思われたり…。そのことは仕方ないけれど、とにかく今日ほど疲れた一日はなかったと思います。「そういうキマリだから・…」の先例踏襲型で、議事運営を進めていても、何も変わらないことは確かです。今の議会の一番の問題点を感じました。そして先例慣習という障壁の高さを痛感しました。

・……あんまり関係ないけど、今日は13日の金曜日!

投稿者 hisaka : 2003年06月13日

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