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2003年06月07日

人類の進歩と調和

 昨年と言えば「夢をありがとう。」が日本全国に広がったように思います。サッカーのワールドカップににぎわいは、サッカーにそれまで関心がなかった人までを巻きこんだのはないかと思います。私の記憶では、その勢いは25年間の中でもかなりの旋風で、オリンピックを見ている時とは全く違う「国民」意識の凄さを感じたものです。

 地道な活動が大事・・・と言いながら、一緒に地域で活動をしている仲間に久しぶりに会いました。そのときに出たのが「人類の進歩と調和」の話です。小学生でも読める漢字、理解できるキャッチフレーズは大阪万博のものです。彼らの話によると「あれほどインパクトのあるイベント、出来事はなかった。」と言います。老若男女が全国から足を運び、そして会場で‘月の石’を見るために炎天下5時間6時間の長蛇の列を並んでいた、‘月の石’を見た人は学校でもヒーロー、万博の180日の会期で日を追うごとに来場者数が増大し、それこそ全国一色「大阪万博」だったそうです。テレビをつけても、学校の話題も「大阪万博」。その頃に小学生時代を過ごしたことが「今の人生に大きな影響を与えている。」と懐かしい話をしてくれました。

 そのときに初めて見た漢字入力出来るコンピューター、初めて通った自動改札、動く歩道にテレビ電話、コードレス電話機・・・数えるときりがないわけですが、とにかく「未来を予感させたし、夢があった。」…万博で日本人がものすごく夢を見て、元気になったと言うのです。その頃に政府が書いた2003年の未来の話では海上交通システムの普及(地上交通網は混雑するので海上交通網で全国を結ぼうとしていたらしい)やリニアモーターカーなどのことがあったようですが、もちろんそれは未だに実現していません。でも、何しろみんなが万博の先進的、そして斬新さに心をうたれ、未来に対する希望がますます膨らんでいった時期だったことは確かです。
 小学生で「ぞっと」するようなワクワクする体験をして、万博にあった未来像を信じて、将来にドキドキ感があったわけです。

 残念ながら、私はまだ生まれてなく、大阪万博と言えば岡本太郎のモニュメントを知っているくらいです。でも、ちょうど70年代は高度経済成長期をくぐりぬけ、ますます日本経済が元気になっていく時代です。その元気さはバブル時代の好景気とは違って、ものすごく一歩一歩進んでいる感じがした・・・という感想を聞きました。次々に新製品が発売されることに驚き、それこそ鉄腕アトムも夢ではないような技術革新に感動したというのです。

 その時代にあった「夢」と昨年のワールドカップに「夢」、明らかに質が違うよな・・・と思います。昔の「夢」は長期的で、ゆったりと構えられた気がします。もちろん当時は「豊かになりたい」「欧米を目指せ」ということで国全体で夢があり、個人の夢がありました。今は「夢」は本当に個人化、個別に帰属しているだけのように思います。

 「夢を描く」ことで人はとても元気になる。その話を聞いた気がしました。だから「まちづくりの未来に夢を語ること」が必要なんだと思います。‘まちづくりへの夢’を一人一人の‘夢’へとリンクしていかなければ全く意味をなさないのです。この‘まち’を元気にするとためには、いかに市民の夢をかたちにしていくのか・・・ということに突破口があります。でも、それはやっぱり要望を受入れるだけではないのです。
自分たち自身で紆余曲折しながら、つくるものだと思います。
 
 大阪万博で描いた未来像に立ち向かった世代は、まさに今、地域に帰ってきたシニアの人々をリーダーとしています。「人類の進歩と調和」があるとしたら、これからはもっと「調和」を必要としている時代です。70年代はきらびやかな一方で公害がどんどん発生した時代。自然環境、人とのつながりなどなど調和をつくり‘かたち’にしていくのは今からです。だから私は大阪万博の熱狂を知っている世代に人たちにも、ぜひ、もうひと踏ん張り頑張ってもらいたいわ!と思いました。

投稿者 hisaka : 2003年06月07日

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