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2003年06月06日

求めるところは同じでも。

 6月議会が始まりました。今日印象に残ったのは「政治倫理条例の改正、職員倫理条例の制定、内部告発制度の創設について」の質疑です。多摩市では昨年の市長の逮捕以来、契約入札制度の見直しを行なってきました。二度とこのような事件が起こらないようにと再発防止策を講じていくのは当然のことです。今、多摩市には政治倫理条例が制定されていますが、これは対象が議会のみとなっているので、対象枠を市長にも広げること、そして職員倫理条例も制定する提案、さらに、市長や議員のみならず、職員に対する不正な働きかけがあった場合などに、そのことを告発できる制度(内部告発制度)創設に対する見解を尋ねる質問でした。
 
 市長の意志は政治倫理条例に‘長’を含める改正はしないとのことでした。そして職員倫理条例、内部告発制度なども制定しない方向との回答でした。部長は「手法は違うけれど求めるところは同じ。」という答弁をしました。この答えに私はなぜかひっかかりました。始めはこだわっていなかったのですが、やっぱり求めるものは同じでも、手法が違えば結果が違うとこともあり得ると思ったのです。「だから、何?」と言われそうですが、私の中では民主主義はプロセスがとても大事だと考えているので、どういう手法をとりながら、不正事件を防止していくかについてはもう少し議論した方がいいように感じました。

 聞くところによると、議会に政治倫理条例が制定されているのは、東京26市の中では多摩市だけだそうです。これをどう考えればいいのでしょうか?
 
 第1条で「この条例は、多摩市議会議員(以下「議員」という。)が、政治倫理の確立と政治腐敗の防止を図り、主権者である市民の信託に応え、良心と責任感をもって政治活動を行い、議会制民主主義の健全な発展に資することを目的とする。」とありますが、これは言われなくても当然のこととして実行する必要があると思います。
ついでに第2条の議員の責務では「議員は、市民全体の代表者として、市政に携わる責務を深く自覚し、地方自治の本旨に従って、その使命の達成に努めなければならない。」・・・そして第3条の政治倫理基準として「議員は、次に掲げる政治倫理基準を遵守しなければならない。(1) 市民全体の代表者としての品位と名誉を保持し、それを害する行為、不正の疑惑をもたれる行為をしないこと。(2) 常に市民全体の利益をその指針として行動するものとし、その地位を利用し、社会的通念を逸脱する金品は授受しないこと。(3) 政治活動に関し、企業、団体等から、政治的又は道義的批判を受けるおそれのある寄付等を受けないこと。また、その後援団体についても同様に措置すること。(4) 市が行う許可若しくは認可又は請負その他の契約に関し、特定の企業、団体等のために有利な取り計らいをしないこと。」となっているわけです。・・・以下政治倫理審査会の設置などが規定されています。

 今日議題になったこの条例を改めて読んでみると、なぜこれらのことをルール化する必要があったのかと不思議に思います。そして他市では制定されていない理由についても理解できた気がして、この条例があることは自慢にもならないなと思ったわけです。
これと同じで「職員倫理条例」についてもルール化したらいいというものではないでしょう。私自身はルール化しないのが普通だと思うからです。一人一人が自覚していて当然と思うからです。先日話題になった「ルールのない社会」のことを思い出しました。何でもルール化しなければならない社会になって欲しくないと心の底から思いました。

投稿者 hisaka : 2003年06月06日

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