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2003年05月17日

必死で頑張る人たちがいるから。

  私はまだまだ経験不足で甘いなと思います。今日はNPO法人のプレイルームゆづり葉の家の総会に参加してきました。
 このNPO法人は昨年の6月に設立されましたが、もともとこの多摩市で25年間ほど知的障害児の放課後時間のコーディネート活動してきました。すべてが寄付で乞田のSさんのお宅を地域に開放して続けられてきた活動です。私は去年にはじめてこの活動のことを知り、非常に感動をしました。ほぼ私財を投げ打っての活動です。もう一つグループホームの運営事業も行なっていて、こちらも行政からの補助なしで続けてきたとのことです。知っている人は知っているけれど、知らない人は全く知らない活動だと思います。
 現状でも障害児を受け入れてくれる学童クラブが少なく、待機児がいると聞いています。この活動がどれだけ価値があるのかがわかります。そして何と言っても25年の長い年月を見ると、活動の継続の裏にある知的障害児とともに歩んできたご両親や支えてきたメンバーたちの思いの大きさを伺い知ることが出来ます。口で言うだけの‘共生’はやはり無味乾燥で、この活動を引っ張ってきたSさんの凄みを感じます。
 今日の総会ではこれまでの賛助会員の制度を後援会組織へと移行していくことが決まり、さらにはとても画期的だと思うのですが、組織内に「苦情処理部門」を設置し、利用者だけでなく、職員(と言ってもボランティア中心)の労働環境なども含めて、困ったことがあれば相談する窓口体制をスタートさせることが決定しました。
 人と人とのつながりを柱にしながら活動が広がっていくのがNPOだとすれば、やはりそれを担う人が気持ち良く働いていなければ、いいサービスも作っていくことができません。職員の就業規定も新たに制定し、「少し厳しめに作りました。」と担当者が説明していたようにちょっぴりハードな内容ではあるものの、これからもっともっと地域でしっかりと働ける組織にしたいとの意向が強く表明された総会になりました。私は来賓(はずかしながら)としてお招きを受け、総会の様子を傍らで見ていたのですが、心意気の裏にある必死さを感じながら、地域がきちんとこのような活動に呼応出来るような体制を作りたいと思いました。

 総会終了後には懇親会がありましたが、次にニュータウン学会もあり途中抜けしたことは少し心残りでした。
 ニュータウン学会では「明日のニュータウンの担い手は?」ということで基調講演と‘ニュータウンサミット’と呼称し港北NT、千葉NT、筑波NT、多摩NTからパネラーを招いたディスカッションが行なわれました。とにかくニュータウンもハードは完成して、その後どんな風に中味を充実していくかの時代に入っているという認識のもとで、コミュニティづくりを中心とした‘まち’の活性化について示唆に富んだ話を聞くことが出来ました。みなさんの話しにはもちろん共感するし、同感することもたくさんありました。多摩市でも新たな‘まちづくり’を模索している中では行政と市民との協働、NPOなどやはり市民力が注目されています。
 団塊の世代が帰ってきたらどうしよう?少子高齢化をどうのりこえよう?職住近接、コミュニティベンチャーのビジネスなど色んなアイデアを考えることが出来ると思います。私自身も市民力活用したいと考えています。
 でも私は、もちろんソフト面の充実も図る一方で切実な課題への対処法がなかなか見つからずに苦戦しています。というのはハードは年月とともに老化するということです。ソフトの面はいかようにでも作り変えることができるわけですが、建物はそんなに上手くは行かないのです。 私は最近まで住んでいた小学校時代の同級生が「建替えを待っていても、いつになるかわからない・・・。」というつぶやきを残して引っ越して行った現実にものすごく危機感を覚えました。例え、どんなにソフトが充実してきたとしても、‘まち’に愛着があって離れたくないと考えていても、住居問題は切実です。諏訪団地は特にそうです。配管設備などの老朽化はかなり進んでいる中では外観を何とかして、内装をおしゃれにしたら・・・というレベルの問題ではないわけです。これをクリアしていかなければならないとなれば、今の経済状況でゼネコン不景気を考えても私は自分自身では行き詰まっています。
 少子高齢化社会、そして人口減少社会へとだんだんとシフトしていくわけです。住居が余る時代になるというわけです。極端に言えば、そのとき多摩ニュータウンは必要とされるのということに危惧を抱きたいのです。もちろんヨーロッパへ行けば何百年と経過している建物があり、今でもそんな古い歴史と趣のある場所に住んでいる人がいます。でも多摩ニュータウンですが、聞くところによると人口急増期にトッカン工事で建設されて建造物の質に注目すれば、ヨーロッパとの比較はできないでしょう。
 そういう現実を見た時に、私は確かにソフトの充実を図ることも必要だけれど、ハードの更新の突破口をどうにか開きたいと思っています。ネットワークの時代だと言われます。そして人のつながりを再生させようとの動きは以前に比べれば高まってきたし、そして多摩市でも人々の意識や行動も変化してきました。
 これまではハードだけの一人歩きが問題視されてきたわけですが、今、少し論調的にはソフト重視に偏っている気がしています。目の前に立ちはだかっているのはソフトは成長し続けるけど、ハードは成長できないという限界性です。そのことについて質問をしたところ「 ソフトを充実させれば、ハードの更新も上手く行くのではないか・・・。」という回答がきましたが、私は決してそうは思えないのです。
 でも暗くなってばかりもいられないし、とりあえずは前進あるのみだな!と気を取りなおして、この‘まち’とここに住んでいる人たちと一緒に努力したい、考えていきたいと思いました。

 今日のプレイルームゆづり葉の家の総会の最後に、ある方がおっしゃいました。「新しいものをつくろう、例えばボランティアを新しく集めよう・・・と考えるのではなくて、今、すでにある活動を支援することで、そこから輪を広げることを考えて欲しいと思う。広げていくことはいくらだってできるんですから、私たちがやれるんですから。」・・・この言葉に励まされました。 

投稿者 hisaka : 2003年05月17日

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