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2003年05月14日

森を守ってきた人々の思い

 『地誌学』の講義で箱根山禁伐林組合のことを知りました。函南原生林を守るために明治13年につくられた住民の自治組織です。森林の恵みを受けて生活をしていた地域農民たちが自主的に禁伐の掟を作り、資金と労力を出し合って森を保護して来たと言います。現在に至るまで監視人が森の見回りをしています。今は1週間に一度の取締りをしているそうです。
 私はこのような自治組織の存在に非常に感激したわけですが、さらに紹介された組合が作成したパンフレットにも共感したのでした。自然保護って一体どういうことなのか?を改めて考えさせられるからでした。 『函南原生林と維持管理について』として2001年に書かれた文章には「・・・今流行の自然保護で無く、農民が自らの労力と資金を拠出して残された森です。この点が一番理解していただきたい点です。」という思いが切々と綴られていました。
 今は保護規定や不伐の森条例を定めたとのことですが昭和に至るまでの間、明文の既定は無いにも関わらず、従来からの‘掟’に守られてきたこの森が持つ意味はとても大きいのです。
 組合の設立趣旨から言うと、多くの人にきてもらうようなことは必要なことでもなく、好ましいことではないのです。昔から、例え権利者(土地は村落の共有地で集落ごとに所有権があった)でも入山禁止でしたが、自然ブームで立ち入る人が増加してきたことから、やむを得ず観察歩道を設けました。
 この観察歩道ももちろん組合主体で設置して、整備費用や管理経費の大部分も組合負担です。この負担については当初の組合設置趣旨から逸脱しているとの声もあるそうです。なぜなら人を入らせないことが筋だからです。
 先生の話によると森林に設けられている‘木道’は樹木の根っこを保護するためという目的だそうです。木道を設置することで、それ以外の場所は人の歩行を防止出来るからです。原生林に人造の木道があることに私自身もがっかりなのですが、自然を楽しむことと自然を保護することの調整をすると‘木道’の設置が一番の結論なのかもしれません。

 テレビなど報道で自然を見ると、素晴らしいと思います。そしてもちろん行ってみたいとも思います。でもその気持ちだけに突き動かされていいものかどうかと私はいつも思います。むしろ「この森を宣伝し多くの人に来てもらうというような事は、組合の設立趣旨からも必要でなく、収入の無い山の維持、管理のためには来てもらいたくないのが本音です。」と強調されている組合の訴えは私たちの在り方にものすごく大きな警告を発していると思うのです。一人一人の受け止めかたは違うかもしれないけれど変わらないのは、この原生林を守ってきた地域住民の努力です。‘森とともに毎日を生きる’、自然とともに苦楽をともに生活をしてきた人たちの心を忘れてはなりません。
 決してその道のりが楽ではなかったという事実をきちんと理解した時に私は自分自身のその次の行動をどうすべきかという答えが出てくるように感じます。
 「観光客がたくさんきてくれていいものかどうか・・・・」というブラジルに行った時に立ち寄ったイグアスの滝で出会った現地のガイドさんのつぶやきを思い出しました。

投稿者 hisaka : 2003年05月14日

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