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2003年04月29日

デモクラシーへの挑戦!

 選挙の時に『デモクラシーへの論じ方』という本を読んでいました。たまたま書店で目につき、思わず購入してしまいました。そして私は「正解はないな!」と思いました。考え方が異なる二人の対話形式でそれぞれの価値観をぶつけ合うのですが、私はどちらの意見も理解出来るとうなづきながら読みました。結局私はこの二人の話し合いのプロセスがデモクラシーなんだと納得をしました。
 最近、まちづくりの手法でもワークショップ形式が多く用いられています。参加している人たちが、それぞれの意見を出し合いながら、ゆるやかに合意形成を図っていきます。ワークショップは結論よりもプロセスを重視します。いかにして結論を導き出すのか?という点では、参加した人たちがお互いを尊重しあうことを学ぶ形式のように思います。私はいくつかのワークショップに参加しながら、自分の思い通りに主張が通らないのが「民主主義」だと感じてきて、そこが面白さかなと思っています。

 ところで、私はこの本を読んでいたこともあり、「街角で、どれだけ多くの人が‘選挙期間’を話題にしてくれるのか?」ということを思いながら選挙カーに乗っていました。というのも、私のところには相変わらずの旧来型選挙にうんざりして、例えば選挙カーで名前連呼する意味や駅前でやかましく叫ぶことに対する意見が数人から届いたからでした。そういう意味では、まだこの‘古典’的手法をしなければ票が集まらないという事実を直視しながらも、私自身も騒音を撒き散らしたりする‘迷惑’型選挙期間から脱皮したいと考えてきました。
 実際問題として悩ましいのは、名前を覚えてもらうのに最適な手法、掲示板と選挙広報だけでいいのかと言えば、たぶんそれだけでは十分ではない・・・でも、騒がしくすればするほどに、市民が選挙に覚めてしまうことも事実・・・とこんな葛藤の中で今の選挙は進められているようです。だからこそ、私はみんなが選挙期間の騒がしさを話題にしながら、新しい選挙手法へのヒントを見つけ出すことをしてもらいたいと考えてきました。街角で「選挙って本当に迷惑よね!」という投げかけから、次にどんな会話が続いていくのでしょうか?私はその中から編み出されるものに期待をしています。
 なぜなら、私も候補者になる前には‘迷惑’型選挙に覚めきっていた一人でしたが、実際に渦中に置かれてみれば、自分自身も旧来型にどっぷりつかるしかないと覚悟したからでした。選挙では、まず顔と名前を一致して覚えてもらうことが必要です。もし、旧来型でないとしたらと方法を考えると、なかなか名案が浮かばないのです。そして、‘選挙’があることを認知してもらうための方法も考えなくてはなりません。
 選挙のつくりかたそのもの、選挙期間の活動方法を含めて、やはり市民が望むような在り方を目指していくことが大事だと思っています。選挙は候補者のためにあるのではなく、市民のためにあるわけで、今、例えば首長選挙では公開討論会等も行なわれていますが、市民のニーズに応じて‘選挙’を市民のものへと変えていく努力をしたいと思っています。そのことが政治を市民のものへと変えていくことへとつながっていくようにも思います。
 やればやるほどに、市民の眼が冷え切ってしまうという現実があるとするならば、今の選挙手法は変えなければなりません。でも、どうやって変えていくことがいいかについての答えを持っているのは市民です。旧来型手法のままを良しとする考え方もあるでしょう。その意味では、まずはどうする方がいいのか?どうして欲しいか?・・・例えば、候補者について、どういう情報が欲しいのか?も含めて、もっともっと市民が主体的に発信していくことも必要だと思います。
 今まで考えてみれば、そのような議論があまりされていないように思います。そのことが「選挙の時だけ都合のいい事ばかり口にして!」・・・選挙離れ、政治離れの原因にもなっているのかもしれません。デモクラシーにはやっぱり議論が必要です。

投稿者 hisaka : 2003年04月29日

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