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2003年04月03日

ほんのりと まわりを囲む さくら色

日に日に桜が広がっています。桜の木のまわりの空気もうっすらと桃色です。乞田川沿いは一番、いい頃合いです。花びらが散るわけでもなく、花が風でゆらゆらしている時期が一番きれいだと思います。
 多摩市の市議会ウオッチングが作成した「議員の通信簿」を改めて眺めていました。不十分さはあるけれど、市民が自分の出来る範囲やわかる範囲で議員の採点をするのは面白い取り組みで、私はこういう動きこそが「変える力」を大きくしていくのだと思っています。
 私はちょこっと1年間だけ議席に座っただけなので、もう一人の補選で当選した議員とともに採点からは除外されていたので、ちょっとほっとしたものの残念でした。
 この採点表は4年前の選挙で掲げた公約をきちんと一般質問でとり上げたかどうか、そして持ち時間をどのくらい使ったか?を根拠にしてあり、そして傍聴者から見た一言コメントつきとなっています。でも、これを見ただけではなかなか議員の顔が見えてきません。一番重要なのは、「公約」をどのような観点から採り上げ(議員個人の視点)、そして質問をしたのかだと思うので、この「議員の通信簿」を見ただけでは恐らく市議会ウオッチングのメンバーが伝えたいことの半分以上が伝えきれていないのではないかと考えています。とは言うものの、4年間の議員一人一人の議会活動を集約したエネルギーはすごいと思います。
 私は、さらには議員がこの採点結果をどう受け止めたのかまでを、把握するべきだと考えています。それが双方向のコミュニケーションだと思うからです。ただ通信簿を作成して配布をしただけでは無意味で、それぞれの議員さんがどう感じたのかを聞くことが「通信簿」の充実へとつながるからです。もちろん反発もあるかもしれませんが、なぜ市民がこのような通信簿を作成しようと思ったのかを説明しながら、その議員と市民と間にある確執や壁を取り除いていくことが必要だと思っています。この垣根を越える努力は市民側にも議員側にも必要です。
 「通信簿」を作成した責任は実はとても重いのです。「通信簿」の価値を市民と議員が共有しなければ、せっかくの活動の存在意義まで問われると思うからです。
 私も含め、誰もが議会改革の必要性を訴えています。議員定数を削減したことも議会改革、活性化につなげるためだという主張もありました。私は議員定数の削減と議会の活性化という視点を未だ、結びつけて考えることは出来ないのですが、いずれにせよ、議会改革の必要性については市民も多かれ少なかれ意識していることだと思います。その意味では議会活性化に市民も参加してもらうために、せっかくの「議員の通信簿」を生かす方向で動いていければいいなと個人的には思っています。
 「公約」って何かなあと思います。自分自身の主張がもちろん実現することが一番ですが、必ずしも自分の主張ばかりが通るわけではありません。もちろん時間の経過とともに変更する部分もあると思います。私は変更したり、実現できなかったりした時にどうやって市民に対して説明をしていくのか?その上で自分としての責任を果たしていくことが最も重要なことだと考えています。責任の果たし方は議員を辞めることでもなければ、続けることでもなく、結局はその人自身の決断ですが、そこには、「個人の生き方」がきっと見えてくるだろうと思います。
 「公約」は実現するためにあるわけですが、それ以上に問われるのは「公約」を実現していく過程での自分自身の姿勢です。やっぱりそこには「嘘はつかない、誤魔化さない」が存在していると思います。私が一番大事にしたい姿勢です。

投稿者 hisaka : 2003年04月03日

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