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2003年04月02日

春色の しずくの音に しばし聞き入る

雨が降っていると、どうも元気が出ないようです。今日は一日、事務作業をしていました。雨降りを口実に活動休止しているとも言えるかもしれませんが。
 いよいよ統一地方選挙ということもあり、公民館へ行くと「負ケルナ、20代」というチラシが置いてありました。テレビでもかわいい池脇千鶴ちゃんが選挙に向けたPRをしています。年々下がりつづける投票率を何とかしたいということだと思います。
 この前者のチラシは、総務省と(財)明るい選挙推進協会が発行しているものですが、私自身は本来は立候補者自らが、または多摩市議会としてもっと投票率を上げるための呼びかけをすべきだと考えます。多摩市では去年4月の選挙で投票率約40%。この結果をどう考えても、やっぱりこの投票率では、満足の行く市政運営はできないことは確かです。そして自分達の議員としての正当性も高めていく必要があると思います。
 私はとにかく「投票所へ足を運んでください。」という呼びかけをしますが、「行ったって意味無いじゃん・・・。」との答えが返ってきます。本当に期待感が全く失われている状況を思い知ります。
 ところでこのチラシですが①日頃から政治・選挙に関心を持とう。②選挙の時は、投票に積極的に参加しよう。③ルールを守り、きれいな選挙を心がけよう。・・・この3つのことが書いてありますが、これは選挙権を持てる20歳までに当然のこととして、認識すべきことなのです。
 つまり私は「教育」を変えることで、この3つのことも自然と身につけることが出来ると考えています「政治教育」というのはその在り方が難しく、先生の価値観を子どもに押しつけるような教え、イデオロギー、先生の主義主張を子どもに植えつけることの危険性もあり、教育プログラムの中から遠ざけてきた存在だったと思います。でも、私は政治、特に選挙の重要性を教育の中で習得していかなければ、突然権利を行使しろといわれても難しいと思います。「何のための権利なのか?」「この権利が何に役立つのか?」がまったくわからないと思うからです。
 例えば、喫煙権や飲酒権については20歳になり、獲得出来ることの喜びがあると思いますが、選挙権も本当はそれと同等の価値があることを伝える必要があります。
 では、それをどうやって教育の中に取り入れるかという時、思い出すのは「模擬投票」です。海外では大人たちの選挙にあわせて、子どもたちも学校などで投票ごっこをします。つまり選挙が大人たちだけのもので無く、子どもたちのものにもなり、それこそみんなが選挙をしていると状況があるのだと考えます。もちろん子ども達は候補者の政策についても学ぶそうです。「教育政策」は子ども達に直接かかわってくることなので、それが自分にとってはどうなのか?を子ども達なりに判断するのです。
 東京でもある都立高校では模擬投票を実施しています。政治経済の授業の中でです。実際の投票日過ぎに公表される生徒達の投票結果はなんと大人達の結果とだいたい同じような傾向を示すそうです。生徒達もはじめは面白がっているようですが、そのうちに真剣に「選ぶ」をし始めるそうです。そして両親と選挙について会話をし、むしろ親のほうが「子どもに目覚めさせられた」というくらいに波及効果もあると聞きました。
 私は模擬投票のような仕掛けをすることで、PR誌に載せられている3つの事項はおそらくクリアできると考えます。そもそも、選挙制度はこの国のルールとして当たり前のことなのに、それが全く機能できていない状況に、本当はもっと危機感を抱く必要があると思います。本当に求められている「政治教育」を遠ざけてきた結果としては当然の状況です。つまり、高齢になるほど投票率が高いというのは、選挙権を得てからしばらくしないと、「選挙をする意味」がわからないからだと考えています。「選挙」というリアリティを感じないからでしょう。
 今、その「選挙の意味」を感じない人たちが年齢にか変わりなく、増えつつある状況の責任は一体誰にあるのかを、誠意持って考えるべきは「政治家」です。だからこそ、候補者は盛りあがるかもしれないけれど、それに反比例して、ますます冷え冷えとしていく有権者たちの「心」を変えていくには、やっぱり「選挙」というものの大切さを候補者一人一人が伝えていくことが一番の近道だと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年04月02日

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