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2003年03月12日

2003年度当初予算①

 予算の審議は「予算特別委員会」というものが設置され、議員も「委員」という呼ばれかたになります。不思議です。予算書の歳入のところから話しが始まりますが、委員一人あたり30分の持ち時間しかありません。人数の多い会派ではそれぞれ分担して質問すればいいわけですが、一人会派や私のように二人会派では本当に時間が足りません。それなら議会全体で見れば、時間は十分にあるか・・これについても私は疑問です。特に、これからはお金がジャブジャブと湧いてきたというバブル時代とは違うので、本当に丁寧に予算書を見ながら事業をみていかなければならないと感じます。大きな投資のところだけでなく、新規事業のことだけでなく、これまで当り前のように行なわれていた事業までもに踏みこむ必要があります。
 さて、歳入についての総括質疑が行なわれました。最終日の採決の際に討論書を作成するのには、どうしても歳入の部分に対する意見も入れる必要があるので、予定を変更して質問することにしました。私は昨日の補正予算の時からずっと、むしろこれまでの市の取り組み経過を十分に理解できていないので、他の議員が質問をしているのをききながら、むしろ勉強している部分もあるのですが、何しろ「どうして、こんなに財政状況が悪化してしまったのか?」がほとんど明らかにされずに来たので、そのことに対する認識を聞いてみました。
 私よりも前に質問をした議員に対しても「真摯な答え」と言えるものなはほとんどなく、そして私に対しても「よくわからない」回答が返ってきました。私は人口の微減傾向や不況のトンネル続きは今に始まったことではないので、もう少し前から対策を講じれたのではないかと考えているからです。行政内部に「危機感」さえあれば、自ら改革することも可能だったと思います。…と考えながら思ったのは、やはりそうは言っても税金の使い道を最終的に認めるのは「議会」なわけで、つまり議会そのものも意識が希薄であったとも言えるかもしれません。つくづく行政と議会が車の両輪のようにあることを痛感します。だから行政を攻めたてても仕方がないという面があります。
 今日の議員の発言で「これまで私も、一生懸命お金を遣うことばかりを考えていた・・・。」という主旨の、私にとっては「爆弾」発言がありました。いつの時代も行政は「贅沢」を考える必要はありません。「最小限の経費で最大の効果」が使命だからです。「一生懸命お金を遣うことを考えてきたんだ」という発言には、議員自身の『税金』の捉えかたが問われると思いました。
 積立て貯金が100億円ほど、借金が600億円・・・返却目途すら立てられない・・・状況を見ていると、「ネガティブ」な方向にしか思考が働いていかないのも本当に辛い事です。
 来年度の予算では市民に直接関わるサービス、福祉や教育の分野に対してはほとんど手をつけていないために大幅な歳出削減ができなかったといいます。ということは、来年度の行政改革事業の中で財政診断が行なわれるようですが、その結果はやはり「痛み」が伴うことが予測されているのでしょうか?
 市長は事業内容、サービスはレベルアップするけれど、コストダウンを図っていけるように仕組みを変えていきたいと言っていました。もちろん私もその意気込みには期待したいと思います。ただ、私は教育や福祉の分野で「削減」が進んだ結果、伴う痛みは社会的弱者というよりも、今、元気な市民に対してのしわ寄せがくると考えています。例えばこれまで補助金を出せたこれた生涯学習系のサークルは、いわば市民の「趣味」と捉えれば行政がわざわざお金をかけることもなく、やりたい人たちが自己負担しながら楽しんでいけばいいとも言えなくもありません。福祉の分野にしてみても、+αの生活に潤いをもたらしてすための事業もたくさんあるわけで、本当に行政がやるべきこと「最低限の生活の保障」だけを考えてみれば、ずいぶんと事業整理も可能です。となれば、「社会的弱者」と呼ばれる人以外の市民に伴う「痛み」をいかにして納得してもらえるかです。難しいと思います。
 今まで、こうやって難しかったからこそ財政逼迫してきました。「個」と「公共」の意識が希薄さがあったと思っています。個人の利益が公共的価値に結びつくことを考える前に、他人のために自らの損得勘定はしないでどれだけ考えていけるのか?そこに本当の「公共」が見えてくると思います。行政の肥大化を招いてきました。肥大化しすぎてどこが本当の「公共部門」だったのかすら見えない状況が発生しています。それは議員も同じです。議員が見えているとも思いません。もちろん私もその一人です。そしてそのことは市民全体にも共通していることなのです。行政改革を行政だけでやっても意味がなく、やはりそのことを市民にいかにして知らせ、市民意識にも変革を迫ることができるのかが運命の分かれ道だと思います。
 それにしてもやはり「どうしてこんな構造を招いてきたのか?」と思うわけですが、私は議会の責任も多いに問われなければならないと思います。市民が変われば議会も変わるかもしれませんが、議会が変われば市民も変わっていくと思うのです。だからこそ私は議会改革の必要性を感じずにはいられないのです。今日もその思いが一層強まった次第です。今後、最も求められるのは「公共部門を再編成していく」議員の説明責任だと考えています。

投稿者 hisaka : 2003年03月12日

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