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2003年03月05日

何を目指すのか知りたい。

 市議会としてイラクへの戦争反対の意見書を提出することができました。全会一致です。急遽議事日程を変更しての採決をとりました。対応が素早く出来てよかったと思います。代表者会議により日程変更などが決定しましたが、一番長老の議員さんは自身が戦争体験者なので「何があっても戦争は反対。」と述べていられたそうです。その一声で代表者会議もまとまったのかもしれません。私も「いい戦争」「悪い戦争」は存在せず、戦争そのものに反対です。
 今日の一般質問では教育の在り方などが議論されました。教育基本法の改正に対する市の見解などについての意見交換で、時代とともに子どもを取り巻く環境は変化し、そして学校教育の中味も随分と変容していることを感じました。私の不勉強もありますが、今、「心のノート」と言うテキストのような本が配布され、道徳などの時間に用いられているそうです。質問をした議員がその本を少し紹介していましたが、『修身』の時間をイメージさせるものでした。教育委員会はこのテキストを「心のよりどころ」として・・・などと述べていましたが、私は人には個人個人それぞれ自由な思想により心を寄せるものを見つけていくのだと思っていたので、教育委員会の方針には非常に疑問を感じました。「心のよりどころ」までを学校教育の中で教えていくのは少し違っていると思います。自分自身で「心のよりどころ」に出会うための過程を応援するのが教育だと思うのに、まるで「心のノート」がバイブルのように捉えているとは驚きです。
 今、「愛国心」が話題になっています。今日の一般質問の中でもこれを採り上げ、問題視する議員がいました。愛国心がほとんどない日本人を憂慮する立場での発言でした。私はこれもやっぱり教えられるものではないと考えています。「自分の住んでいるここの場所が好きだな・・・」って思えば、それでいいと思います。ある意味でこれも「愛国心」に通じるものがあるかもしれません。その気持ちと言うのは教えられて育つのではなく、日々の自分を取り巻く状況や環境の中で自然と身につくものだと思います。私自身をみても、特に「愛国心」があるというよりは、自分が住んでいるこの地域の人たちが好きで、この土地が好き・・・・だからこの地域をもっといい場所にしていきたい・・・とこんな気持ちへと結びついていくのです。つまり「ここ」は日本なので、そういう意味では「愛国心」になるかもしれませんが、それは教えられたから育つものではないと思います。自分自身で地域の人に出会い、地域を知ることで次第に蓄積される「心」です。だから私は「愛国心」が足りないのが教育の責任だとするのは間違っていると思います。いきなり日本を好きになれ!みたいな形で押しつけるのではなく、やはりまずは自分の住んでいる「ここ」を好きになることから始まると思います。それを学校教育の中で取りいれるとするならば、例えば、地域の歴史や地域の人を深く知る時間を持つことになるでしょう。
 ところで、私は、今、日本が目指すものって何かな?と思います。何を目指しているのかなあと思いながら、社会を眺めてみますが、なかなか政治の世界を見ていてもその姿が見えてきません。そしてそれは今、多摩市でも同じです。何だか「どうにかしなくてはいけない」ことはわかるけれども漠然としたイメージ像だけが膨らんでいるように感じます。イメージを具現化するためにはひとつひとつ着実に実行していくしかありません。今、リーダーの手腕がものすごく問われる時期だと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年03月05日

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