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2003年03月01日

わたしの「つうしんぼ」

 今日は雨。しかも昼過ぎからはかなりなきつい雨降りになりました。けれども真冬の痛みある寒さに比べれば少しは和らいだ冷たさでした。
 わたしの「つうしんぼ」企画の方もそろそろ終盤戦を迎えていますが、今日はステイツマンのメンバーが突撃隊を結成して、「つうしんぼ」を集めに出かけました。私は「つうしんぼ」の採点が返ってくる度に、この試みをやって良かったと感じます。採点結果は宝物です。明日からの活動へとつながるからです。活動の方向性を見直したり、自分の在り方を再確認するためにはやっぱり「議員」を見ている人たちの声を大事にしていかなければなりません。厳しいことを指摘してくれる人ほどありがたい存在だと思います。
 議員の活動として、任期中最後の議会を迎えようとしています。「当選を自分の力と思いたくなる日がきます。(例えば一緒に選挙をした仲間から批判されることがあったときなど)当選者はいつも他人の力でしか生まれないことを忘れないで下さい。」大学時代の恩師からもらったメッセージを改めて思い返しています。当選だけでなく、私の議員活動も決して自分の力だけでは生まれていないことは確かです。
 私は「公共」を問い直す必要性があると考えてきました。今までは「個の利益よりも全体の利益が優先するという考え」が公共の概念でした。そんな中でのまちづくりは、「公共性」についての判断の大部分はは議員個々人に委ねられてきたように思います。でも私は「公共」は、関わる人々なりに、個々人が持つ利益について、相互に調整しあいながら形成されると考えています。つまりどの範囲を「公共」とするかについては当事者同士でしか編み出すことができないのです。だからこそ私は「公共」を編み出すプロセスをもっと重視しながら進められるまちづくりをしていきたいと考えるのです。
 つまり議員活動についても同じで、自分自身だけで「公共性」を判断するのではなく、私の活動の「公共性」を紡いでいく必要があります。そのためにステイツマンと私が「つうしんぼ」企画に挑戦しているのだと思います。ある意味で「議員とはどうあるべきか」の答えを探し、考えていくきっかけだと思っています。これはなかなかの難問です。でも議員が「公共の人間」であるならば、先にも書いたように、周りの人々の力がなくてはその「公共性」を高めていくことは出来ません。市民とのフィードバック重視で活動を組みたてていく手段として「つうしんぼ」をぜひとも活用したいと考えています。市民によってしか「議員」は生まれないし、創られないのだと思います。

投稿者 hisaka : 2003年03月01日

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