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2003年02月22日

人間らしく生きる

 福祉亭へ立ち寄りました。なんとなく以前に顔をお見かけしたことあると思い、隣に座っていた方に声をかけてみました。「すみません、前にお会いしなかったですか?」すると「あら、そうでしたっけ?」という答えが返っていましたが、私は前に会ったことがあるはずと感じました。しばらくすると今度は相手から「私のことどう思いました?」という質問が来たのです。外見は女性ですが、声は太いので私は「女性に見えますが・・・。」と言いました。すると「私は性同一性障がいなのよ。」と返ってきました。最近、性同一性障がいの方が新聞に投稿をしていることもあり、戸籍への記載の問題など「その人らしく生きる」を保障することがまだまだ制度上でもできていないことを感じています。そのことを相手に話しました。「私は男にも女にも興味はまったくないわ。私は女性の気持ちもわかるし、男性の気持ちもわかるんだよね。」と笑顔で話してくれるのです。今までに悩んだのは公衆トイレのことです。男性のトイレに入れば驚かれるし、かといって女性のトイレに入るのには自分の気持ち的に迷いも苦痛もあったけれど、保健士のアドバイスで女性用に入ったところ周囲の空気が変わらなかったので、今は女性用を使うようにしているそうです。そのことを聞くと、私には全くわからない暮らしにくさがあると思いました。前は「女性になりたい。」と言っただけで精神病扱いをされ、家族からも縁を切られてしまいたったの一人ぼっちだと言います。精神病というよりも心理的な問題なんだそうです。
 私は性同一性障がいの方と初めてお話をしました。そして少しだけでも歩み寄れていたらいいなと思いました。始めに私が市議会議員であることを告げていたので、公園のベンチの裏に散らかっているごみのことや、永山商店街に灯りがなく女性にとっては夜間は危険だろうということなど、感じていることを教えてくださいました。そして今は仕事が全くなく生活保護を受けていて、ありがたいと思っているとの気持ちも話してくれました。髪の毛を伸ばし始めたら、大家さんに追い出されたこともあるそうです。
 「人間らしく生きる」っていうのはその人のあるがままを受け容れる社会がないと難しいと思います。性同一性障がいのこともそうですが、今日の午前中に知的障がい者をめぐる今後の福祉の展開の話しを聞いていても同じことだと思いました。午前中の学習会では北海道の伊達市の話しがありましたが、グループホームが約70ヵ所近くあるそうです。話しをしてくれた先生は実際に現地に趣き、スーパーでも買い物をしていても、道路で歩いていても知的障がい者の方々に出会うことにとても驚いたそうです。私はそれが当り前だと思います。よく施設等はとても人里離れたところに建設されることが多く、私はここでも「隔離」する人々の気持ちを感じます。みんなが「人間らしく生きる」ためには、もちろん制度的な面でも改善の余地はあるけれど、本当は私たち一人ひとりが変わらなくてはならないと思います。
 毎週月曜日の朝、私は永山駅で活動報告をしています。そのときに知的障がいのある小学校時代の同級生がいつも「寒いでしょう・・・・」といって温かい烏龍茶を買ってくれるのです。「いいよ、いつも、大丈夫。」と言っても、彼は納得してくれません。だから本当にうれしいし、ありがたいなあと思って烏龍茶を受けとります。
 その人の気持ちを大事にして、応援出来るようにしたいなあと常に思います。そしてそのために制度的にどんなことが考えられるのか。「教育」の重要性を一層強く感じています。

投稿者 hisaka : 2003年02月22日

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