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2003年02月19日

大変な時代になっている。

 一般質問に向けて話し合いをしました。ステイツマンのインターンの学生も交えての議論で随分と活気がありました。
 私は子どもの社会参加についての質問を組み立てていますが、彼らはつい最近まで高校生だったわけで、かなり率直な意見を聞くことが出来ました。人が集まれば集まるだけ、多様な意見が出てくるので、意見の交換をしながらひとつの方向性を見つけ出していくことは時間がかかりますが、「えーっ、そんな考えもあるんだ。」という発見はとても楽しいです。
 ところで、今回は「こどもの社会参加」と「廃棄物会計」がネットとしての質問なのですが、やはり学生たちにとっては前者の方が身近な問題のようでした。ごみ問題になったとたんに少し議論がおとなしくなったからです。むしろ多摩市だけですが、今の「ごみ」の現状を知って少しばかりショックを受けたように思います。
 今、多摩市では分別収集が行なわれていますが、これもまた不可思議なことで、例えば納豆の白色の入れ物はきれいに洗ったら「不燃物」、洗わなければ「可燃物」という風に説明がされてきました。私もその話を聞いてたいそう驚きましたが、実は多摩市の清掃工場はいわゆるプラスチック製品を燃すのに耐えられる構造となっているそうです。そして市民が分別しているにも関わらず、そのうち8割を燃やしているとのことです。がっくり来ます。その実態を知らず、私も家ではせっせと分別をして、例えばトレーを洗うときには水も汚さないようにとなるべく工夫をしているのが馬鹿らしくなってしまいます。私たちは‘ごみ’を出してしまえば、そこで自分の責任は終了・・・と捉えがちですが、実は「ごみの行方」をトレースしなければいけません。そこまでが消費者であり、ごみの排出者である人々の責任だと思います。税金を払っているんだから行政がごみをちゃんと処理をしなければいけない・・・・という考えは責任放棄です。
 この市の実態を交えながら議論をしたのですが、私も含めて若い学生にとってはまだまだ実感のわかないことかもしれません。もちろんデポジットの考えを制度として知っていても、実際に買い物をするとどれだけの家庭ごみが出るのか等はネットの会員の実感には及ばないようです。レジ袋の話やごみ袋の有料化などの話しもしましたが、これについても結論には至りませんでした。結局はごみになるものは「買わない」ことが一番ですが、買い物に行くと買わざる得ない状況に迫られるわけです。個包装は便利で、そしてペットボトルも便利で・・・まだまだ便利さに甘えてしまう構造が色濃く存在します。ごみ問題について、改めて自分たちの問題だと切実に感じました。
 ところで早稲田大学の生協のお弁当では弁当箱がリサイクルされているそうです。学生の環境系のサークルが企画したのは箱にセロハンがしいてあるので、食べおわればセロハンをはがせば箱はリサイクル出来るという仕組みです。「きっとこれはキャンパス内だから出来ると思う。」との発言がありましたが、それでもこういうアイデアを採用して生協で商品化できたのはうらやましいことです。
 「私たちって大変な時代に生きてるよね。」これは私の実感なのですが、ごみの問題を見ても、または子どもたちの問題を考えても、何だかものすごい渦の中に巻込まれていくように感じます。特に議会の中で現実を知れば知るほどに、こんな社会で大丈夫なのか?・・・そして今、何が出来るのか?を私たちが一人一人考えなくてはどうしようもない時代に突入していると思います。「議会が全て」という考えかたを捨てて議員活動をしていく時代に入っていることを感じずに入られない今日この頃です。

投稿者 hisaka : 2003年02月19日

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