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2003年02月13日

どこもかしこもお金がなくて?!

 午前中、多摩消防署へ行って青少協の北諏訪地区委員会主催の普通救命講習へ行ってきました。初心者用で「救命」のイロハから、人工呼吸法、心肺蘇生法、止血法を教えてもらいました。どうも私は全くセンスがないらしく、心肺蘇生法は実際にノルウェー製の1体40万円もするという人形を使って練習をしたのですが、押し加減などがなかなか標準値に行かず、こんな私が救命活動できるのかしら?と講習の終了証をもらうことにちょっと躊躇してしまいます。
 ところで今日の講習は財団法人東京救急協会による指導でした。指導をしてくれた職員は消防庁から出向しているそうです。わかりやすくテンポのいい説明で楽しく講習が進んだのですが、一つだけとても気になったのはとにかく説明の端々にすぐ「財団も厳しくて・・・。」とお金の話しをするのでした。東京都からの補助金もカットされていて、非常に財政難だそうです。私たちはテキストと人工呼吸用のマスクを1000円実費負担したのですが、これについても人工呼吸用のマスクが350円だし、テキストを作成するのにもお金がかかるし、本当に大変なんだということを強調していました。確かに・・・厳しいようです。人工呼吸などの練習用のお人形も買い換えることができないそうです。
 でも考えてみれば「救命」ということにしても、「消防署の仕事」の意識を少し転換して、人の命を救うのはトナリの人たちなわけで、例えば駅や道路などで突然倒れてしまった人にすぐ手を貸さなくてはならないのは自分たち一人一人だと自覚しなくてはいけない気がします。やはり、一人一人が初級の救命技術を習得することは必要です。都心へ行くとまったく冷たいもので、倒れてしまった人がいても見てみぬフリをする人が意外に多いような気がします。私も通勤電車の中でフラリと倒れた人がいた時に、ずっと支えて新宿の駅まで行った事がありますが、新宿駅に着いた途端に通勤で忙しい人々がさーっと電車を下りてしまい、結局一人でその方をイスに座らせてあげ、駅員さんを呼びに行った覚えがあります。そういう意味では「誰かがきっと手助けするだろう。だから自分はしなくてもいいや・・・。」みたいな意識が人の多い都会では生まれやすいように感じます。きっと本当は「助けなくちゃいけない」という気持ちはあっても行動をしなくてもそれこそ「何とかなる」だろうと思ってしまうからです。 そういう点でいえば第一段階はトナリの人、その次に「消防署」が位置するのだと思います。
 さて、午後からは東京市議会議長会の議員研修で多摩地区全部の地域の議員が府中の森芸術劇場に大集合しました。どの自治体もバスで来るのですが、それはそれはものすごい異様な雰囲気です。開会すると挨拶や、表彰(勤続)などが行なわれ、「日本経済・復活の条件」というテーマで立教大学の斎藤先生の講演がありました。とにかくあちこちから寝息、いびきが聞こえすぎていて、会場内は『御休み処』に化していました。日本経済復活の条件というテーマのわりには、今の状況は「不況」ではなくて「普況」との話しに落ち着いてしまったので、いささか消化不良ぎみでした。
 今日の一日の締めくくりは「ライブハウス永山福祉亭」です。こちらも新年度から新しい体制で運営をすることが決まっているので、更に世代の交流と地域交流の拠点になれるような場所づくりをするための意見交換がなされました。私の地域デビューはここが出発点なので、ちょっぴり思い入れが深いのですが、この場所も「税金」が投入されているので、やっぱりそのことは念頭において客観的に見ていく必要があるんだという心得を忘れてはならないと思いました。
 「お金がない!」とはいうものの、これまで勝手に「お金がある」と思いこんできて、税金の使い方でさえも贅沢になっていたと思います。そのことが財政を余計に悪化させてきたとしかいいようがありません。贅沢になれてしまった人間が贅沢をあきらめるのは相当時間がかかるといいます。いよいよさらに大変な時代を乗り越えるための秘策探しをしなくてはと思います。

投稿者 hisaka : 2003年02月13日

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