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2003年02月07日

思想良心の自由

 今日は午前中は少しゆったりして、ステイツマンのインターンシップ説明会に出席しました。3月議会に向けての一般質問を一緒に作ってみちゃおう!、選挙に向けての活動、その他私の日常を見てください!など、いろいろなプログラムを用意して地方議会・・・というよりも地域とどうやって関わっているのか?を体験してもらうことにしています。
 5人の大学生が集まってくれて、それぞれの思いを今日の説明会に参加しようと思った動機を語ってくれました。さすが、突然の説明会開催に足を運んでくれただけあって、問題意識が高く、特に「何でも体験してみたい」という意欲はもちろんのこと、「考えているだけでは始まらないから行動してみたい」という現場主義を大事にするような思いを聞いてうれしくなりました。
 私は議員として、はっきりいって自分から何かたいそうなものは与えられないけれど、でも一緒に作り上げていく面白さや楽しさを味わえる場所を提供したいと伝えました。インターンシップのプログラムはおそらく私という議員とインターン生徒の間でいかようにも作っていけると思います。かなり期待して楽しみにしています。
 久しぶりに学習会に参加しました。教育基本法の改正がテーマです。早稲田大学で憲法学を教えている西原先生の話でした。まず始めに先生は一番の興味が「思想良心の自由」にあるといい、国旗国歌法などはこどもの思想良心の自由を侵すものだという説明をしてくれました。
 私は国旗にも国歌にもあまり関心もなく、むしろ「どうでもいい」存在という認識しかありません。オリンピックの時に国歌を聞くたびに、「ダサイ歌」・・・テンションを盛り下げるように思ってきました。日の丸はなかなかシンプルでいいのですが、むしろお弁当のイメージが強いです。つまり私にはいわゆる「日の丸・君が代」問題が正直遠い存在なのです。なのでどうしてそのことが問題なのかについて、取り上げている人たちの話しを聞いて、薄すぎる問題意識を高めたいと考えています。
 今日の話しを聞いていて、なるほど・・・と思うわけです。国旗国歌法は子どもたちや国民に強制するのではなく、教師の義務として存在してきた、、、そして教育基本法の改正でいよいよ子どもたちのところにまで国旗と国歌を精神の機軸にしようとしているという分析です。子どもたちを「洗脳」する状況が来る、そのときには例え、家庭の方針が国旗国歌に否定的であっても、子どもたちが一日の大半を過ごす学校での影響は強く、「日の丸・君が代」マインドになってしまう危惧が指摘されていました。
 現場の先生も学習会に参加をし「教師の思想の自由はないのか?」と質問していましたが、それに対しては「より国旗や国歌を強制するような」先生も出てくるかもしれないので、やはり慎重に考えなくてはならないとの回答でした。
 西原先生は子どもたちを守るためには今こそ地域や家庭との連携を強めるべきだと主張しましたが、その具体的な手立てはなく、どんな風に連携を強めればいいのかはわかりませんでした。学校、地域、家庭との連携は文部科学省自身も歌い文句にしているように思います。
 いづれにしても、私は「日の丸」が掲揚されているのを見てもあまり何も感じない人で、恐らく去年のワールドカップを見ていても若者にとって「日の丸」は一応日本の国旗だから・・・くらいの意識しかなさそうに思っています。日頃から自分の家に日の丸を掲げている若者は多くないはずです。何となく国を表すモノを探すと「日の丸」に行き当るだけのように感じます。国歌についても同じですが、今日の学習会に参加して私自身も「国歌」の歌詞の意味などをきちんと説明されたことはなかったということに気がつきました。ただ、「君が代」が日本の国歌で、とっても覇気をなくすようなメロディだと思ってきただけです。今は歌詞の意味もわかるし、もともとこの歌は元気が出ないのであまり「歌いたくない」というのが私の感覚です。
 でも西原先生の話しを聞いていてやっぱり「強制」するのはよくないなあと思います。学校現場でどのように「強制」されているのかということはいまいちよくわからなかったのですが、もし強制が行なわれているとしたら、それは良くないと思います。必要なことは国旗や国歌の成立ちやそれが持っている意味についてきちんと子どもたちに伝えることだと考えます。その後、どうするのかはまさに子どもたち自身のよるのではないかと。その時に大事なのは家庭の在り方かなあと思いました。学校で学んだことを家庭に持ち帰った時、どんな親子の会話があるのでしょうか?そこに一番の大事なところかなあと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年02月07日

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