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2003年02月05日

赤信号は渡れない?!

 朝は聖蹟桜ヶ丘の駅で遊説活動。途中で少し酔っ払い気味のおじさんにつかまり「だめだよ、お姉ちゃん、いくら言ったって変わらないよ。国会だよ。どうして多摩なんだ・・・。」から始まり、約10分間くらいおじさんの思いを聞いてしまいました。おじさんは酔っ払っていましたが、結構大事なことを教えてくれた気がします。「仲間を大事にしなさい。」と言っていました。「みんなたいしたことないんだよ。」とも言っていました。私もそのとおりだと思います。私なんてたいしたことなくて、私を支えてくれているステイツマンをはじめ多くの人の力が‘すごい’からです。
 今日は予算の最終内示がありました。ほとんど前回の説明と同じですが、もちろん市の財政状況は完全に行詰り状態です。来年度の税収は落ち込みます。基金の取り崩しを行ないます。なんと財政調整基金と呼ばれる簡単に言えば、使途に制限ない市の普通預金は底をついてしまい残金が約5億円となってしまうのです。5億というのは私にとっては大金過ぎて想像つかない額ですが、市の予算全体として考えると来年度の一般会計では433億3千万円なので、どれだけ危機的状況にあるかがわかると思います。信号は点滅を通り越して赤に変わってしまっているのです。となればこれは断腸の思いで決断しなくてはならないこともたくさんあると思います。市長によれば市民生活に関わるサービスについては現状維持で努力をしたとのことでした。確かにそうかもしれません。でもそれはあくまでも「判断」にしかならないとも思います。恐らく今、必要なのは「決断」ではないか、それには恐らく痛みも伴うのだろうと思います。あとは議会として、どこまでそのことを認めていけるのかも重要な点です。要は誠実に説明責任を果たすことだと思います。それは市民に対しても同じことです。わたしたち市民一人一人も自分勝手になってはいけないと思います。全体的な視野を持ちながら、自分自身の‘くらし’が豊かになるように考えなくてはなりません。
 ところで、今日は北諏訪地区の青少年問題協議会があり、始めの1時間ほど参加しましたが、その中でつい先日小学校が行なったアンケート調査に結果が公表されました。小学校の公開状況や、授業の指導方法や学校行事から子どもの様子などをたずねるものでした。私が驚いたのは、「生活指導がきめ細かく行なわれている」という質問項目があることです。私が小学校の時には考えられないことです。生活習慣などは家庭で教えていくものだと思っていました。そして何よりも、「自分からすすんで学習する習慣が育っている」「子どもが自分で考えて行動するようになった」「思いやりの心が育っている」という項目への回答で「わからない」という選択肢に数%の該当者がいることには、本当に寂しい気持ちになりました。どうして子どものことがわからないんだろう?と思うからです。『思う』『思わない』はあると思うけれども『わからない』というのは・・・・?私にはちょっと理解できない部分でした。でもきっとこの『わからない』という回答を0%にする必要があるのだと思います。
 小学校の先生の話では最近落し物が多くなっているということや中学校の先生からは中学1年生なのに授業中に喉が乾いたと水を呑みに行く生徒がいるという話しを聞きました。「生活指導」のきめ細かさが求められる理由もわかる気がしました。そして要望として、土日に親子でふれあいが持てるような活動を学校を使用して開催して欲しいというものがあったそうですが、私は「親子のふれあい」とか「親子でできること」についてもそれぞれの家庭ごとに考えて遊んでいくものではないかと思いました。もちろんたまには、イベントに参加をしながらというのもありかもしれませんが、イベントがないと「親子のふれあい」ができないかのような気もしたのは残念でした。
 何はともあれ、地域課題を少しずつ解決していけるようなコミュニティがなければ、まちづくりは動けなくなっているわけです。赤信号でもどうしても渡らずにはいられない現状に私は本当に落ち込んでしまいます。こんな状況で本当に未来はあるのかしら?と心配になるからです。でも自分自身でその心配を克服するためには、地域での活動などに積極的に参加をしながら人と人とのつながりをつくるお手伝いをしていこうと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年02月05日

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