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2003年01月25日

子どもの権利と義務

 今日は午前中は議会対策の会議。3月議会に向けた一般質問作成です。今回は「子どもの社会参加」を考えてみようと思っています。これは私にとっても何となく追っていきたいテーマとして心に引っ掛ってきたことです。3月議会は任期中の一番最後の議会なので、どうしてもこのテーマを採り上げるしかありません。
 子どもの問題は児童虐待やイジメからの救済を考えること、そして子どものまちづくりへの参加など市民としての子どもの立場を考えるという大きくは二つの側面があります。いづれにしても子どもの「人権」問題になります。
 午後からは南多摩生活クラブ生協主催で講演会がありましたが、ここには「子どもの人権」といえばの早稲田大学の喜多明人さんが「子供の権利を考える」というテーマで話しをしてくださいました。とてもタイミング良く喜多先生と再会できてラッキーでした。
 先生の話しの中では私が悩んでいたことがクリアになりました。それは一般的にもそうだと思いますが、「今の子どもたちは権利ばかりを主張する。」とか「権利権利というけれど、義務は果たしているのか?」など子どもたちがいわゆる自分勝手主義の権利を濫用しているではないか・・・という論調に対して、先生はどう考えているのか?ということでした。先生はもちろん権利と義務は一対であることを前提としながらも、子どもの権利については必ずしもそう言えないことを主張していました。それは例えば法律で考えてみても、憲法では(義務)教育を受ける権利は子どもが持っているけれども、教育を受けさせる義務は親が持つことになり、学校が負うことになっているからです。子どもの権利は大人や社会が義務として確保をすることだって存在するわけです。そして、子どもたちに権利意識、義務意識をきちんと教育できているかについて、権利学習の実態について調査をしてみても、ほとんど行なわれていない状況があり、それにも関わらず「子どもたちが権利を主張する」と批判もナンセンスなのです。学習していない、むしろ学習させるような場所がほとんど皆無に等しいのに子どもの状況を避難ばかりする大人たちもまた自分の姿を振りかえってほしいものです。そして子どもたちが、虐待やイジメにあった時、それは「権利侵害」なんだという自覚意識を持てるようにならなくてはいけません。
 私は今日の話しを聞いていて、やはり「権利学習」が大事だなと思ったのです。でも正直、その「権利」なるものをしっかりと語りきれる大人はどれだけいるのでしょうか?そもそも一票を投ずるという権利をこんなにも無駄にしている大人たちがたくさんいる中で「権利」がこの社会の中でどんな在り方をしているのかからもう一度見なおす必要性を感じました。

投稿者 hisaka : 2003年01月25日

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