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2003年01月20日

「しつこさ」を持って

 午前中はステイツマンとミーティング。来月号の「ほうれんそう」についての編集会議などをしました。実は今月はほとんど‘身になる・実になる’活動をしたとは言えないので一体どんなテーマをとりあげようかとかなり悩みました。選挙の前で、ネットニュースも増刊されるのでテーマの重なりがないようにも考えなくてはなりません。
 今、多摩市にとって一番必要な事はやはり議会という場所を少しでも多くの人に認識してもらうことではないかと最近つくづく感じます。ほとんど意識されることなく議場が存在し議員が存在する状況に私は無力感すら覚えるからです。おまけに「あーあんなとこダメダメ・・・。」と面と向かって言われ、「だめよ、関係ないのよ私たちのことなんてね。」と残念がられると私も返す言葉がありません。一方で「でも、そこで‘まち’のことが全て決定されていくのに。」と思います。「ダメ」という人たちは「ダメ」だからこそ何か代案を出してくれるのでしょうか?そして行動してくれるのでしょうか?・・・蛇口をひねると出てくる「水」も政治なんだよ・・・ということをいちいち感じながら生活をするなんてうっとおしいですが、実はそういうことを認識することから始まるのかもしれないと思います。子どもは蛇口から水が出てくるのは当り前だと考えていると思うし、実際、自分もそうでしたが、自分自身で川や井戸へ水組みをしなかった世代にとっては水道、そして道路が「政治」であるなんて考えることすらしないと思います。
 今日、元新聞記者の方にお会いし、話しをすることができました。彼に言われたのは「念には念をいれること、丁寧さ、根気」でした。「どうしてなのか?」というしつこさを持つ必要があるということです。なぜあの人は「賛成なのか?」「反対なのか?」、表面だけで捉えるのではなく、その『理由』を自分なりに見つめなくては議員の仕事はできないというわけです。「みんなで渡れば恐くない」という社会ができあがりつつあり、彼に言わせれば、既に完成しているのかもしれませんが、「みんなで渡らないことの選択」にはそれこそしっかりとしたビジョンが必要になります。つまり「どうなるかわからないから、ちょっとみんなで渡ってみよう・・・」とするのではなく、「絶対に渡らない方が言い・・・と言えるだけの根拠」が示さなくてはならないということでしょう。ビジョンを持てるための「なぜそうなのか?」について追求する執着心に欠ける私にとってはちょっぴり耳の痛い話でした。
 でもこれって「どうして蛇口から水が出てくるんだろう・・・」と考えることからも始められるのかもしれません。

投稿者 hisaka : 2003年01月20日

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