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2003年01月11日

大学に足を運んで

 懐かしい「ふるさと創生」の1億円の行方を追う番組を見ました。今日は午前中は「ほうれんそう」のポスティングを精力的にやり、午後からは大学の授業に出席したからです。授業ももう今年度最終だったので、ビデオを見て、一年間のまとめをする内容でした。
 1億円は実にさまざまな形に姿を変えていました。金のシャチホコは有名な話ですが、各地でコンサートホールや運動場、公営温泉場などがつくられました。いまやホールなど建物は、バブル絶頂の時期に建てられたチョー豪華施設過ぎて維持管理が大変になり、むしろ財政を圧迫しているお荷物です。今日の1億円の行方には、このお金をどうしたらいいものかと考えているうちに基金として積立てにまわしたことで、何と現在2億円になった!という驚きの変貌でした。当時の利率の高さ、何とバブリーな時代だったんだろうと改めて思います。貯蓄をした自治体は全国的にも他にもあるそうですが、番組では米原町のことが話題でした。
 米原町ではこの1億円分を町内24自治組織に分配することにしましたが、そのかわりに24地区ごとの地区まちづくりプランの策定を条件としました。最初は反発もあったそうですが、お金の使い道を地区ごとに話し合いながら、地区、地域の将来像も描いていくという一石二鳥の試みは大成功なようでした。面白いことは地区ごとの話し合いの委員会には必ず若い人、女性を3割入れることが条件だったことですが、若い人の年齢は45歳までです。
 やはりこれをきっかけとして地区や地域に関わる人も増え、世代間交流も生まれたといいます。住民の手づくり炭焼き釜、集会所に台所スペースを設置してサロン化する、川の土手に住民で花を植える、古民家を購入して住民の憩いの場にするなどの取組みが行なわれていました。まちに何かしたいなあと思っている人はたくさんいる。けれどもきっかけがなかなかつかめなかった。」という町民の感想がありましたが、ボールの投げかた次第で、受け取ってくれる人はきっといるのだと強く感じました。町役場の女性課長は「行政にも限界があるんです」と言いきり、住民と一緒にまちづくりをする時代であることを強調していました。
 私は番組を見ながら気がかりだったのは「議会の存在」でした。一般的にも「行政と市民」とを『協働』として、よりよい関係を模索しようとしていますが、私自身もこれを考える時に「議会」にどう触れればいいのか、悩みます。「これからはやっぱり議会はいらなくなるのだろうか?」と。
 ただし、最終的な「決定権」を今のところ握っているのは議会です。民主主義とは多数決に至るプロセスが大事です。住民の会議は喧喧諤諤で、かなり消耗戦になる場合が多いけれど、そのプロセスはかなり大切にされているのではないかと思います。しがらみ等もあり、もちろん難しい面もあると思いますが。そう考えると住民会議の決定をどう取り扱うのかなどきちんとした制度の枠組を作る必要がありそうです。例えば住民会議の決定と議会の決定が異なった時どうするのでしょうか?いづれにしても議会の持つ権限の大きさだけは認識させられます。
 私は議員になった時、先生に言われたのは「議員になってしまうな。」でした。今、その意味がよくわかってくるのですが、こうしてOL時代の意識と変わらずに学ぶ意欲や学生と接することのできる貴重な時間を持つ心を失わないということなのだと思います。その通りで、今日は久しぶりに学校へ行き、先生やゼミ生と出会い、しみじみとその大切さを感じました。確かにそのために割く時間は必要だけれど、「選挙だから忙しい。」というのはきっと言い訳に過ぎないのだと思いました。

投稿者 hisaka : 2003年01月11日

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