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2003年01月10日

友達の姿に励まされて

 朝から「ほうれんそう」を配りまわりました。「自民党じゃないから反対。」というおじいさんには参りました。こうもはっきり言われると、どんな顔をしていいのか戸惑います。おじいさんには「あの・・・。」とも言えずに、さっさと退散したのですが、自民党のどこかいいのかについて尋ねたいと思いました。反対を唱えて、すべて否定することは簡単ですが、むしろ「どこがいいのか。」を知りたいと思います。私は自民党の「良さ」がわからないからです。
 今日は高校時代の友人の舞台を見に行きました。久しぶりに新宿へ行き、サザンシアターに向かいました。多摩センターのイルミネーションはやっぱり比じゃない、新宿南口のイルミネーションは豪華できれいでした。何が違うかというと電飾のデザインが全く違います。やっぱり新宿の方がおしゃれでした。
 友人の舞台は5年ほどぶりでした。彼女とは中学3年生の時からのつきあいで、自主グループを結成し文化祭で舞台発表をしていました。考えてみれば、桐朋時代のさまざまな活動は「自主性」に任されていて、大人の先生は生徒から求められた時だけ手助けをするという環境にありました。私が「自治」にこだわるのは中高生時代の経験が大きいなあとつくづく感じます。
 彼女は大学も演劇科に進みました。そして仲間で劇団を結成して以来、おそらくアルバイト生活で演劇に取組んできたのだと思います。何年ぶりかの舞台は、私が初演を見た頃とは全く異なり、舞台装置や衣装などが本格的で、幕が開いた瞬間にゾッとしました。「すごい」と思いました。彼女が歩んできた道を感じたからでした。
 久しぶりに毎日の自分をすっかり忘れて舞台を見ながら、中高校生時代のことを思い出しました。振りかえれば振りかえるほど、私は桐朋時代の環境が自分の今にすごく影響をしていると思います。いわゆる校則はなく「自主規制」、しかも自主規制の内容も生徒会で決定します。自主規制が守られているかどうかは先生がチェックするのではなく、生徒会の委員がチェックしますが、チェックしたからといって罰則はなく、学校全体でクラス別に自主規制が守られているかどうかを一覧表に出すくらいです。でもそれで、自分達のクラスの状況は一目瞭然です。それ以後、どう行動するかは生徒一人一人にかかっているのみ。先生も見て見ぬふりでした。あまりにも短すぎるスカート丈については時々、「短すぎるぞー。」と注意を受けましたが。
 そんな懐かしい思い出から言えることは、子どもの年齢年齢に応じた大人の対応が必要だということです。大人がすべて子どもを管理するような体制の中では、子供が自分で判断をしたり、考えて行動する力を伸ばせないと思うからです。子どもの自由にさせると、自由奔放で言うことを聞かずに、規則も守らずに困った状況になると勘違いしている大人があまりにも多すぎる社会だと思います。子どもを自由にさせないからこそ、子供たちが苦しがっていることに学校でも家庭でももっと気づく必要があるのではないかと感じます。大人は結局、自分たちが楽をするために、子供たちの個を無視して同じ規則にあてはめようとするようです。いかにも「子どもたちのため」を装うのですが、「校則」は生徒のためではなく「先生」のためにある・・・というのが私が最近思うことです。

投稿者 hisaka : 2003年01月10日

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