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2003年01月04日

伝えることが第一だから

 まだまだお正月モードが抜けきらず、朝はゆっくりとしてしまいます。考えてみたら、今日は普通のタダの土曜日です。シャキっとしなくちゃ!と言い聞かせて、午前中は事務所へ行き、昨日に引き続いて印刷をしたり、ポスターの準備をしました。それから、家の近くに1月号の「ほうれんそう」を配布しました。
 「ほうれんそう」も1月で第8号になりました。諏訪と馬引沢の地域と毎週月曜日の朝遊説の時に配っているものの、まだまだ定着していないようです。一軒一軒訪ね歩き、本物の私の顔を見てもらって、「ほうれんそう」を覚えてもらいたいなと思っています。「ほうれんそう」もステイツマンのアドバイスもあり、顔写真などを載せる工夫をしていますが、やはり情報の発信者そのものへの信頼をがなくてはなりません。ていねいに発信者である自分に出会ってもらうことは重要なことです。
 ポスティングをしても、宅配寿司やピザやマンション売買のチラシにまじってゴミ箱行きの運命になる「ほうれんそう」もきっと多いと思うので、まず手にとってもらえるように存在をアピールしなくてはなりません。 とは言え、これはまだ「伝える」段階にも至っていません。やっと「ほうれんそう」が認知されて、私の「伝える」が始まります。情報も一方的に公開しているだけでは無意味で、その情報が公開されているという事実を伝える努力は少なくともする必要はありそうだと感じる今日この頃です。あまりにも存在を知らされずに存在している情報がありすぎます。だから私も「情報共有」と言っているわけですが、まだまだ序の口で活動としては甘すぎると痛感しています。
 でも、不思議なのは「ほうれんそう」を届けると「まあ、偉いはねえ・・・。」と言われることです。けれども私はどうして「偉く」なってしまうのかがよくわかりません。とりあえずは「いいえ、どうしても覚えてもらいたくって・・・。」と答えます。
 今、「まち」で起こっていることや議会で話し合われていることを正確に伝え、それに対する自分自身の考えを示すこと議員としての最低限の役割と考えています。実際、その「伝える」手段がなかなか難しいです。Aという意見があり、Bという意見もありCという意見もあり、でも私はDという考えかたを持っています・・・という形での情報を提示出来ると市民は一番うれしいのではないかと考えています。議会としても定例議会ごとに「議会だより」を発行していますが、これを見ただけでは、例えば陳情・請願に手をあげたかあげなかったかの賛否はわかるのですが、審議の経過はわからないからです。もしかすると最終的な判断がどうであったかのみわかれば足りるという人もいるかもしれませんが、もし私ならどういう意見によって賛成なのか反対なのかを知りたいと思います。
 議会に居ながら思うのは、何てたくさんのことが気づかれることなく決定してしまうのだろうということです。これはとっても恐いことです。今日も「ほうれんそう」で議員定数の削減について書いたところ、「あら、そうなの・・・。」という反応がありましたが、こういう状況は全く好ましいとは思えません。議会の存在する意義すら問い直したくなります。さらには「偉いはね。」と言われると、本当に市民と議員になってしまった市民との距離感がものすごく遠いことも感じます。
 私は今、「伝える」ための準備からはじめる必要があります。きっと私の「ほうれんそう」だけではなく、市議会そのものにも関心を持ってもらえるようになると信じて、コツコツと続けていきたいと思っています。

投稿者 hisaka : 2003年01月04日

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