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2003年01月02日

「鏡よ…かがみ」ではなくて・・・。

 今日は毎年恒例の大学時代のゼミの先生宅での新年会でした。約15名ほどが集合しました。いつもの「名物おでん」は残念ながら、おでんのネタが品切れだったとのことで、何とジンギスカンが今日のメニュー!さすが、北海道出身の先生、とっても美味しくいただきました。
 議論好きの集まりは、お酒が入るとノンストップ状態になります。その議論に私はあんまり参加できません。いろんな意見があるなあと思うことが楽しいし、勉強になります。最近、不容易に発言しないようにプログラミングされつつあることを感じます。聞かれたことに対して「イエス」「ノー」は答えるけれど、人の意見はどんな意見も大切にせよ…という姿勢をまず第一にしているからのようです。でも一方で、自分の考え方を適切に発言する場所やタイミングを心得る技術も磨かなければと感じています。ゼミの場に参加すると、正直、まだ自分として、そのことが感覚として掴めていないことがよくわかります。
 今日は先生にとても大事なことを提言されました。「壁を持つことが必要だぞ。」です。これまでは「自分を映す鏡が必要だったけれど、人は鏡をのぞくと微笑んでしまう…これではまずいんだよ。」というわけです。つまり、自分の考えや意見のひとつひとつを丁寧に確かめるためには鏡ではなく、壁を持ちなさいと言われたのです。この表現は言い得て妙です。「鏡よ、かがみ・・・」の白雪姫の世界になってしまうと危険であるという先生の指摘は何となくわかります。私がいろんな壁を所有するためにはまだまだ多くのところに足を運ぶしかないなと思っています。もちろんゼミもある意味では私にとっては「壁」な場所です。また、先生にはよく「議員になってしまうなよ。」と言われるのですが、これもまた言葉どおりに受けとめるのではなく、暗に意味するところを汲み取らねばなりません。難しいことを簡単な言葉で表現して、もっと難しくしてしまう先生マジックにはいつも頭を抱えてしまいます。
 先生は「議員って特別な存在なのか?」を常に問いかけてくれます。もちろん私は議員は特別な存在でないと考えているし、政治も特別なものではないと思っています。人が生きるということそのもの、人が二人以上集まれば政治が始まる…・と言われますが、政治の原点と言うのは「共存のルール」だと考えています。つまりは本来はみんなが政治家なのです。人が自分一人だけの力で生きていない以上は、みんなが「政治」に関わっているのです。そしてみんなでみんなの暮らしを向上させていくための仕組みづくりに知恵を寄せ合うのです。
 私はインタビューなどで目指す政治家像を問われた時、「普段着の議員」でありたいと言います。そのためには私の普段着度をチェックしてくれる先生や仲間を大事にする必要があります。それが先生の指摘する「壁」だと思います。今日もつくづく感じたことは、もちろん今後も仲間を増やすことは大切なことだけれど、議員になる前からの仲間は本当に貴重な存在だということです。
 去年の新年会はOL、そして今年の新年会は議員で参加したけれど、何も変わらないみんなが居てくれたことに心底うれしくて、ありがたいことだなあと感じました。

投稿者 hisaka : 2003年01月02日

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