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2002年12月23日

えっ・・・ウソ・・それでいいのホントに!?

 多摩ニュータウン学会の研究大会に参加しました。午前中は大学生の研究発表でした。今年の7月に「学術・文化・産業ネットワーク多摩(ネットワーク多摩)」、いわゆる産官学の連携を目指した地域のネットワークが誕生しましています。地域は学生にとって素晴らしい体験の場でもあります。今日の発表では①多摩センタークリスマスツリーに関するイベント研究②多摩ニュータウン内保育園の園庭デザインというテーマで①についてはネットワーク多摩の学生部会なのかな?が行なった多摩センターのイルミネーションの点灯式イベントを中央大学の学生が発表し、②については多摩美大の学生が実際に南大沢のせいが保育園の園庭リニューアルに関わった事例が発表されました。
私は学生時代には地域活動とは無縁の生活だったので、彼らのことがとてもうらやましく思います。社会人になって地域に関わるようになり、一番感じているのは地域は宝箱だということでした。まさに、彼らの事例発表の中での共通した感想「いい体験になりました。」という言葉どおりだと思います。
 さて、午後からのメンイのシンポジウムですが、筑波大学の名誉教授の川手昭二さんが「私が考えるこれからの多摩ニュータウン~30年間の検証ふまえて」というテーマで基調講演をしました。彼はニュータウン建設当初、都市計画設計に公団職員として携わった一人のようです。私はいまや過疎化する勢いのこの‘まち’を造った人としてどんな発言をするのかと注目をしていました。彼の講演は多摩ニュータウンの都市計画がいかに素晴らしいか!ということを再三再度強調するものでした。そして多摩ニュータウンの「都市基盤こそが子孫に残せる財産」だと言うのです。私は思わず「えーっ!」と声をあげてしまいそうでした。私たちに残すべきは「都市基盤なの?!」と。むしろ設備更新にこんなにもコストのかかる都市基盤を残されて迷惑をしているのに・・・と。
 私たちはこの都市基盤に悩まされているわけです。どんなにか素晴らしいかもしれないけれど、あまりにも人工的過ぎて、階段が多すぎて、坂道ばかりで、多世代が住める‘まち’になっていないじゃないの・・と思うからです。彼は「実験都市」だと言いました。実験都市なら実験都市で成功なのか失敗なのかをきちんと検証してもらいたいです。実験結果に責任を持てずに逃げ腰の公団や東京都、この‘まち’に夢を託した人々に本当に訴えたいです。「残される私たちのことを考えてもらいたい!」・・・この都市基盤がニュータウンの最大の財産だなんて誰も思っていないのに。
 彼の考え方を全て聞いたわけではありませんが、私は日本の典型的な古典的な都市計画を学びました。まさに設計屋さん、技術屋的な発想しか持たずにこの‘まち’を造ったんだと思ったのです。そこには「人」や「心」が存在しないのです。‘まち’で一番大事なことは私は「人」だし「心」だと思っているのに、ニュータウン建設時の話のどこにも「心」を感じないわけです。ただ広い道路、多摩丘陵の環境を‘みどり’広域的につないでいくこと、独立した都市圏を形成させようとしていたこと・・・・私は話しの端々に「人の顔」「人の声」を探してみましたが、どの断面を切り取っても、この‘まち’を‘まち’から生まれる「まちの心」の事なんか視野には入れていないことがわかったのです。そして「都市基盤こそがニュータウンの財産」なんて・・・・。あまりにも情けなすぎると思うのです。
 今、団地のリニューアルに泣いているところがあります。一人暮しの孤独老人が増えています。未曾有のスピードで迎える高齢化に私たちがどうすればいいかともがいているのです。都市基盤だけが財産ではないことがわかったからこそ、新たな価値を見つけるために奮闘している人々がいます。ニュータウンを残してもらう世代に位置する私としては「ニュータウンの心」を残してもらいたいです。せっかく30年の歴史を持つニュータウンなのに堂々と残せるものが都市基盤だけだとしたらあまりにも陳腐でお粗末な結果だと思います。
 実験結果についての発表も無く、もしかするとまだ結果は出ていないのかもしれないけれど、私は少なくとも、この‘まち’はハード的には失敗しているかもしれないけれど、ソフトな面ではまだまだ期待しなくてはならないと思っているし、私は都市基盤以上に重要で価値あるモノをこの‘まち’で創っていきたいと考えています。
 都市計画だけの美しさがある‘まち’だからこその欠陥を埋めるために、NPOなど地域活動が活発化している状況があります。歴史をつくるのも拓いていくのも、この‘まち’に住んでいる人たち・・・私たちが残したいのはこの‘まち’の都市基盤ではなく、造られた無機質な‘まち’に魂を入れこむために奮闘してきた人の存在です。
 基調講演のあとにはニュータウンの中に‘魂’を入れるべく活動をしている人たちどうしのパネルディスかションがありました。時間の制約もあり、深いところの議論までには至らなかったものの、パネラーそれぞれが‘まち’に対しての愛着があり、情熱があることを感じました。 そして私はパネラー参加していた市の部長さんが多摩センターの活性化の触れて、「(いろんな人たちの)知恵を借りたい、行政だけでは解決できない!」と発言している姿を見て、随分と変わったなあと思いました。これまでの行政は市民にお願いされることはあっても、市民にお願いすることはなかったと思います。彼のような発言が突破口になるはずです。少なくとも参加のチャンスが広がっていることはわかります。行政ができないからこそ、ここに住んでいる人たちが何とかしなくてはなりません。出来ないくせに適当に「検討します。」と返答する不誠実さ、行政がその姿勢から脱却することが市民の信頼を勝ち取っていき、本当の意味でここにいる人たちのための「まちづくり」がスタートするんだと思います。
 実は私はニュータウン学会が設立された時に募集していた「ニュータウンへのラブレター」を書きました。その表彰式以来ぶりに出席した学会でした。当初入会したものの、幽霊会員だったのですが、今度はちょっと本気でこの学会に関わってみようかと考え中です。

投稿者 hisaka : 2002年12月23日

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