« ワーカーズコレクティブという働き方 | メイン | 議会最終日に向けて »

2002年12月20日

脱!見ざる・聞かざる・言わざる

 今日は朝から予定がぎっしり。稲城ネットとの合同での南多摩協議会で都議会、稲城市議会との情報交換会。その後で市役所に直行し、ちょっとした打合せをした後で、来年度予算の進捗状況の説明を受け、多摩ネット全体会と臨時総会に出席。それからネットの忘年会にも出られずに、高齢者いきいき祭の会議に参加しました。
 何と言っても、今日は来年度予算の状況を聞いて憂鬱になってしまいます。今の時点で既にマイナス約45億円、こんなに財政状況が悪化しているなんて信じられません。つまり庁内の各部署から来年度の事業に対して予算を企てたものを集約した結果です。来年度はもちろん税収も伸びることは期待できず、固定資産税の評価額の見直しもあり、大幅な減収はすでに予測済みです。お金はないのにやることはたくさんある・・・・歳入と歳出のバランスが全くとれていないわけです。
 自分のお財布や家計を考えて見た時、生活費として必要最低限を見積もっても、そして貯金を取り崩したとしても、太刀打ちできない・・というわけです。それが多摩市の台所事情です。
 けれども悲しいかなそんな多摩市の状況を知っている市民はほとんどいないと思います。私も議員になるまでははっきり言って全然興味もなかったし、納税意識も希薄でした。でも数字を見てしまうと、だいたい1億円だって想像がつかないのに、その45倍もの赤字が計上されているなんて、その数字の大きさだけはわかるものの、一体そのことがどのくらい大変なことなのかが感覚的にはわかりません。ただ、これが最悪の事態になっていることはわかります。国の予算編成の案を見ても、史上最悪の国債発行高約37兆円が示されました。いつも情報としては国の借金がものすごくて、とにかく何とかしなくてはならず構造改革だと言われているけれど、誰が取り立てに行くんだろう?とか解けない雪だるまか・・・と思えだけで、一庶民として何をどうすればいいのか?がちっとも示されないことに腹立たしく感じるばかりでした。
 けれども自分自身が多摩市の税金の使い道を決める立場だと思うと、腹立たしくなるどころか、恐ろしさがあります。この借金地獄に傾いている多摩市をどうしていくべきか・・・?という決定をする立場にいる責任はとても重いからです。要望なんて何一つ出来ません。要望する時には、どこの部分を削るのかを合せて考えなくてはなりません。「やりくり上手」の技術も不足分の45億円を減らすための知恵にはまったく効かないのです。
 これだけの大きな借金ですが、市民にとっては雲をつかむようなものです。でもこんなに大きな借金を抱えてしまう結果になったのは、市民がきちんと行政を議会を見てこなかったからだと思っています。だからもっと見る必要があるし、聞く必要があるし、そして意見を言っていく必要があるのです。ただ批判するだけの批評家になるのではなく、自分自身が何ができるのかを判断するためには、もっと行政の動き、そして議会の姿に注視しなくてはなりません。こうなってきた全ては市民一人一人のお任せ主義だったと考えています。行政任せで議会任せ、そして自分は・・・・?今、この部分が最も問われていると思います。
 もちろん行政の情報公開の仕方が悪いとか、行政の舵取りができていないとか・・・これまでのやり方について異論を唱えたくなると思います。でも過去にケチをつけるよりは、今、自分自身が何をすべきなのか?を考えなくては、はっきり言って責任のなすりつけで終わってしまいます。私たち自身の無関心が社会をどんどん借金地獄で迷宮入りさせてしまったと思います。その反省にたった時、どんな行動をするのか?その答えは市民の一人ひとりの中にあるのです。私は議員として叫びたいです。「市民のみなさん助けてください。どうすればいいのでしょう!」・・・財政難という現実は議員ひとりの力でもはや解決できません。議会として克服できるものでもありません。この現実を受け止める市民一人ひとりの意識にかかっているのです。議員として「何とかします。任せてください。」とは口が裂けても言えません。
 私自身には、この現実を市民に伝えながら、どうやって‘まち’を再生していくのかを考える姿勢が問われています。

投稿者 hisaka : 2002年12月20日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/210