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2002年12月18日

どうして自治基本条例が必要なの?

 今日は急遽予定を変更して財団法人地域活性化センターの研究員の方に会うことになりました。地域活性化センターというのは旧自治省の外郭団体として設立され、各都道府県や市町村の職員が一定期間出向してきて、研修をしたりなどするそうです。その研究のテーマとして自治基本条例をテーマにし、全国各地の事例を集め、その中で面白そうないくつかについては実際に訪問をして、条例づくりに関わった行政担当者や市民の話しをヒアリングして歩いているとのことでした。実は先週の末の土曜日に私は欠席しましたが、多摩市の市民自治基本条例をつくる会のワークショップが行なわれました。その様子なども見学し、その後多摩市の担当者にもヒアリングをし、そして今度はつくる会に関わった人と話しをするという流れでした。
 さすがに、一人は鳥取県から、もう一人は世田谷区に本籍を置いているだけあり、自治基本条例のことも随分と研究しているようでした。昨日は兵庫県の生野町を訪問してきたとのことで、バイタリティを感じました。私はたまたまつくる会の代表から「同席してみないか?」と誘われたので、ずうずうしく一緒に話しをさせてもらったわけですが、二人の研究員の問題意識がまとまっていることや、質問事項がとても丁寧に組み立てられているのには、私も見習わなくてはと思いました。
 研究員の方々は既に多摩市の職員に話しを聞いていることもあり、多摩市の自治基本条例制定に向けた流れを大方つかんでいるようでした。けれどもそれに関わった市民としての直接の声を聞いて、「随分とイメージが違ってきた・・・。」という話でした。そして聞かれたのが「自治基本条例って本当に多摩市に必要だったんでしょうか?」という質問でした。
 というのは、様々な自治体での調査をしてみると、自治基本条例の必要性が明確に発見できるそうで、世田谷区にしろ生野町にしても、まちづくりの歴史が古くからあったそうです。それに比べると多摩市では自治基本条例が突然発生した気がするというのが研究員の印象で、どうして多摩市で自治基本条例が制定されることになったのかが、いまいちよくわからないというのです。
 実は私も最近というか、自治基本条例制定をめぐっての様々な動きを調べるうちに、同じような疑問を抱いていました。そして「なぜ?」ということを掘り下げていくと、そこに見えてきたのは政治の渦なのです。つまり前市長の態度が最も大きく存在していることを感じてきたのでした。そして、突然に村から急成長した多摩市の行政自体に「まちづくり」の経験が多摩市のまちづくり哲学として成立してこなかったことも私が最近気づいたことです。これはなぜかというと、ニュータウンという市域の約6割も占めるところは公団や東京都がつくってくれました。なので多摩市自身が都市計画にしてみても「自分自身で考え」てきたかどうかと言えば、恐らく考えなくても出来てしまったと思うわけです。そして、そこにやってきた住民自身も公園や道路、図書館などが全て完備され、計画されている状態(最も古い新住民は別かもしれないけれど)だったので、自分たち自身で「まちづくり」を考えなくても、自動的に生活の利便性が保障されてきました。若い街にやってきた若い人たちにとっては十分過ぎるくらいに十分な‘まち’であったのです。新住民自身も多摩市の「まちづくり哲学」のなさに気がついていなかったし、そもそも気づく必要性も存在してこなかったのです。
 ところが少子高齢化が言われ、一気に‘まち’が老朽化しはじめて、「これは大変!」という状況が今です。そこには一番には「まちづくり」に最も必要なコミュニティの欠如が存在しました。人と人とのつながりが希薄過ぎるということは誰もが気づき始めています。そしてこれからの多摩市に必要なのは、昔の「ムラ」社会のような住人同士のつながりだとも言われるようになっています。
 要するに私が何を言いたいかというと、本来は「まちづくり哲学」の上に存在するものが自治基本条例だとすれば、多摩市には行政にも市民の中にも「まちづくり」に必要な経験の蓄積、そこにあるまちづくり哲学がほとんどない状況に自治基本条例を制定してもいいのかどうか?ということなのです。多摩市にとって自治基本条例がとても重いものだと感じているわけです。そのことについて、今日出会った研究員にズバリ指摘されました。要は「多摩市の自然な流れで自治基本条例制定を受けとめられない」ということです。悲しいかな当っていると思いました。
 とは言え、私は最近、なぜ自治基本条例が必要なのか?ということについて議会との関係があると思っています。今、多摩市では議員定数削減条例が提出されようとしています。ところがあまり議論なされていないのが現実です。そして減数条例がなんと年明け1月1日から施行されることとなっています。実は、来年1月末に報酬審議会が開催され、そこでは議員歳費のことも議論される予定でした。議員削減で経費が削減されるという側面ばかりが強調されています。そして報酬審議会を待たずに、先に減数してしまおうと言うわけです。ここにもまた、私があまり巻込まれたくない、触れたくなかった思惑が存在するように感じます。実際に議員一人一人の歳費削減をしないで、二人分を削ってしまえば・・・という知恵が働いているのだと指摘する議員がいるからです。
 私は議会が今後多摩市にとってどんなありかたをすればいいのか・・・その議論を踏まえた上で減数するのならいいと思います。でも、今回のような思惑が強く働いているのだとしたら、ものすごく残念なことで、議会として、または議員としての‘こころ’を問われる気もします。
 本来は議会とは市民を代表する場所です。それならば、議会のありかた自身も市民に論じてもらう必要があるわけです。市民が自分たちにとって必要な議会を設置していくべきだと考えます。私は、そこに自治基本条例の存在意義を見出しています。なぜなら市民自治にとって議会が必要だと位置づけるからです。私自身は今、多摩市において、市民自治基本条例は「議会」を市民の手で創るために最も必要だと考えています。
 そして多摩市の自治基本条例と言えばパートナーシップ協定抜きには語れません。そのことは強調して、研究員の方にお話をしました。つまりこれは市長が変わったとしても「まちづくり」の流れを変えないための切り札になるからです。パートナーシップ協定の意義、その意味の大きさを行政、市民ともに感じていることは確かなのです。

投稿者 hisaka : 2002年12月18日

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