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2002年12月08日

いろいろな動きを楽しめるように

 ‘まちづくり’には決まった‘かたち’がないのが面白い。だからやりがいがあって、楽しいんだと思います。
 今、多摩第一小学校の建替えワークショップの参加者の中から、今度の土曜日に小学校の施設を使用した宝探し大会をやろうという企画が持ちあがって進んでいます。この企画はワークショップに参加している第一小学校に通う子どもの父親たちが中心になっています。もともと市民のワークショップには自治会長さんや卒業生の会の代表の方、地区委員の方などもいますが、全て個人の任意での参加にしています。つまり自発的に‘やりたい人’が集まっているので、毎回の会議への出席率も優秀です。市民参加といってもなかなか市民も忙しいので、二週間に一度の会議に毎回出席するのも至難の技だと考えるわけです。だいたい気力を維持するのが・・・・。でも、この会議に出席して感じることのもうひとつには、にわか仕立ての市民ではなく、本当に昔の昔の多摩を知っていて、第一小学校を知っている人が多いので、それだけ愛着や思い入れがあるようなのです。「‘まち’への思い」が原動力!を見せつけられるような場所です。
 さて、今度の土曜日の企画は寸劇方式でやることになってしまい、なぜか私もチョイ役を担うことになってしまったので今日はその打合せをしました。打合せとは企画者の作成したシナリオの読み合わせや自分たちがなぜ今回の企画をしたいのかという目的などを話し合う会でした。ほとんどは今の学校の様子や学童クラブの様子や地域をどうしていきたいか・・・・という思いを口々に語り合っていた感じでした。
 私はそんな考え方などを聞きながら、やっぱり‘まちづくり’には決まったかたちがなくて、手を上げた人が自ら、まずは自分の責任で始めることなんだなあと思ったのです。もしかすると、それは自分の家の前の道路を掃除することからかもしれないし、近所の子どもたちの悪さに対して時に注意を与えることかもしれないし、となりの家の宅急便の荷物を快く預かることかもしれません。どんなことでも‘まちづくり’には欠かせない要素で出発点になるのです。
 でもそこで大事なことは、そうやって自分自身で、または数人の仲間が集まって、何かしらの行動をしたいな!と考えた時、その時にそれを後押しするようなしくみがどんな風にあるのかな?ということです。もちろん行政がバックアップ出来る部分もありながら、地域自身がどう受け入れていくのかな?ということもとても重要なことです。別に自治会や町内会じゃなくてもいいわけです。多様な主体がそれぞれに活躍してくれること、活発になってくれば‘まちづくり’ではなく‘まち育て’が加速すると考えます。
 今は‘まちづくり’の時代なんでしょうか?実は、最近ですが都市計画についてちょっと学んだ結果、‘まち育て’時代という方がわかりやすい感じがするのです。都市計画のことも、最近は‘まちづくり’と置き換えていうわけなので、今、すでに都市の設備基盤が出来ている地域では「行政と市民の‘まち育て’」として、使い分けてみたいなと思っています。結局は行政と市民の育ち合いが‘まち’の在り方を決めていくのです。そして私はいろんな‘まち育て’を楽しめるような環境づくりの一端を担いたいと思っています。

投稿者 hisaka : 2002年12月08日

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