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2002年12月04日

社会という現実

 まだ自分自身の質問日まで2日もあると変に余裕があるようで困ります。最終日の一番最後まで緊張感をずっと保つのって難しいなあと感じています。会社に行っていた時も水曜日はノー残業デーで、、木曜日の午前中が一番辛くて、金曜日と言えば「あー明日はお休み!」と気が抜けていました。
 今日は私の見てきた社会や私の見ている社会はまだまだ狭いなあと感じながら、他の議員さんの質問を聞いていました。もちろん視点が全然違うということかもしれないですが、‘まち’の中の課題は本当に多岐にわたると思います。私は9月議会の時に介護保険制度をテーマにして一般質問をしましたが、その時には今後の高齢者福祉がどんな方向にあればいいのかに力点を置いていました。介護保険制度の改正は急激に人口増の予想される多摩市でもとても大きな問題なので、12月議会でも一般質問のテーマに取り上げる議員が数名います。
 介護保険制度を考えてみると、やはり一番の心配は介護保険料の改定です。サービスを充実すれば充実するほどに、保険料が高くなるのは当然の事です。この給付と負担のバランスをどう図っていくのかは微妙なさじ加減だと思います。保険料は払うだけで、元気なら介護保険のサービスを受けることはありません。元気な高齢者は自分にとって不要な介護サービスのためにお金を払うことを拒否したいと思います。これもまた理解できます。もらえるかもらえないかわからないのに一方的に給料から年金を天引きされている若い世代の感情とある意味近いと思うからです。でも介護の社会化、介護を社会全体で支えていく理念なしに社会の経営はやっていけないのが事実です。
 ところで今日の質問者が行政に要求した資料によると所得の低い高齢者の方が要介護度が高いとの結果です。つまり所得が低いため、住環境も悪いし、栄養も十分でないし、医者にもかかることが出来ない・・・・・悪循環が起きているわけです。これは多摩市内のデータとして市が作成したものなので確実な数字を示しているわけですが、所得が低い層ほど介護保険料の未払い率も高くなります。びっくりするようなデータですが、おそらくそれが現実なんだと思います。私にはまだ見えていない社会構造なんだと感じます。
 私と親しい地域の先輩たちの多くは、もちろん地域活動をしているだけあっていきいきとして元気で、どちらかというと「お金のある」人たちなんだと思います。でも、彼らは現役時代に死ぬほど働き蜂だったんだろうし、会社人間だったんだと想像するわけです。彼らはあまり、介護保険料のこととかも気に留めていないようで、保険料の負担が重いとか何とかの話題が出ることってほとんどありません。
 つまり、私が今日、質問でのやりとりを聞いていて思ったのは、これだけ「豊か」だと言われてきた社会だけれど、そうじゃない社会の構造は存在しているし、憲法で言う『生存権』、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」って一体なんなんだろう?と感じたわけです。今、求められている「生存権の保障」はものすごく難しいと思ったからです。何故かと言えばとにかく価値観が多様化しすぎていて、人によって求める水準が違うからです。でも、それなら行政として守るべき『生存権』の最低ラインをどこに位置付けるのか?これを説明することもまた簡単ではないわけです。
 これまで行政の守るべき「生存権」のことを深く考えてみたことはありませんでした。どんなに市民自治が進んだとしても、行政がやるべき部分はやっぱり『弱者を守る』ということだと思うので、その視点を忘れずに持ちながら社会を捉えていきたいし、「生存権」に対する私の哲学の必要性を感じました。

投稿者 hisaka : 2002年12月04日

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