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2002年11月01日

あったらいいな。コミュニティスクール

月曜日祝日続きで久しぶりの朝遊説でした。寒くなってくるので辛い辛い。まずは起きた時にまだ真っ暗・・・というのは億劫なこと。でもステイツマンのメンバーの一人は日高市在住。彼を前にして「辛い」なんて言えません。朝の遊説が終わった後、事務所で打合せをしました。今後どんな活動を組み立てていくのかネット事務局との調整が必要です。
 午後からは急遽一般質問の組立てをしました。今回は「都市計画」がテーマです。多摩市の都市計画行政ではやはりニュータウン問題①未利用地②団地建替えの行方は大きな課題です。それともにいわゆる既存地区の整備も考える必要があります。
 さて、今日は東京ネットの子ども部会で参議院議員の鈴木寛さんから「コミュニティスクール」について話を聞きました。コミュニティスクールとはつまり「新しい学校」のことで、学校や家庭の教育力低下が言われている中で地域にもっと学校を開放し、地域の人たちに学校運営、学校経営に加わってもらう、地域で支える、地域力を生かした学校です。アメリカのチャータースクールを見習ったもので運営費は税金です賄われる形式です。国会ではコミュニティスクール法案の審議されるのは、教育基本法の見直しや国立大学の法人化のあとで、おそらく本格的には来年度以降に行われる予想だそうです。今は研究校がいくつか指定され試行されている段階です。
 私はコミュニティスクールそのものは否定するものではなく、地域に開かれた学校で、地域住民が講師をやったり、ユニークなカリキュラムを作成できたりなどすればいいと思っています。コミュニティスクールの人気上昇で周辺の学校が刺激されるという効果も期待できるからです。コミュニティスクール法というのは学校運営の在り方を変えていくという「仕組みづくり」の手法に主眼が置かれています。要は学校の中味については地域で独自に企画していくからです。
 けれども私はコミュニティスクールの受け皿となる地域が存在しているのかが疑問で、さらにはコミュニティスクールを設置する要件を満たしているかどうか誰が判断するのか、もしコミュニティスクールとして不適格だとされたらその責任は誰がどのように請負うのか?という部分の議論がまだまだ不足しているように思います。私は開かれた学校づくりは大切なことで、「密室」と言われる学校を変えたいという気持ちはありますが、例えばコミュニティスクールがの認可が取消されたなら、その時そこに通っていた子どもはどうなるのでしょうか?が一番大事なことと思っています。運営協議会に異議を申立て、閉鎖に追い込まれた学校の生徒たちをどのようにフォローするのかが心配なことです。
 確かにこの議論は「にわとりたまご」の世界ですが、その中で子どもが翻弄されることはならないと思っています。鈴木さんはこれまでの教育行政が変わってこなかったのも「子どもたちを巻きこまずに」という言葉が存在したと言います。この文句により守られてきたこともわかります。でもやっぱり、私は今のコミュニティスクールの議論の中に足りないのは「子ども自身の声」だと感じます。今でも実験校があり、3年目を迎えているところもありますが、そこに通わせている保護者の姿や学校運営主体の地域の状況がどんなに熱心であったとしても、それで学校がどう変わり、子どもたちがどう変化したのでしょうか?一番知りたいのは「子どもの姿」です。子どもの顔があまり見えてこないコミュニティスクールの議論に私自身は少々不安を覚えています。
 でもやっぱりコミュニティスクールがあったら面白そうです。色んな人が関われるコミュニティスクールであることが不可欠です。一般的に言えばコミュニティセンターじゃないですが、一部の人だけのモノに成り下がることのないような運営を目指すことも第一条件です。そして両親共働き世帯が増える中、実はコミュニティスクールで一番重要なのは、そこの通わせている生徒の両親だったりするわけで、おそらく彼、彼女たちが学校(地域)に任せっぱなしてでは意味がなく、どんな関わりかたをしていけるかが一番の鍵だと思っています。平日は会社、平日午後もしくは休日はコミュニティスクールに関わる・・・・忙しい生活に楽しさを覚えられるでしょうか?どちらにせよ、コミュニティスクールの在り方が問われるし、それをどう創っていくのかについて一筋縄ではいかないと感じています。

投稿者 hisaka : 2002年11月01日

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