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2002年10月12日

ともし火の向こうにまぼろしが見える?!

 今日は早朝からアクティブに活動をしてしまいました。これは私の所属する北諏訪地区と諏訪地区の青少協が共催した中学生交流会のボーリング大会です。私はOLの時にも年に一度のボーリング大会ほど苦痛なものはなく、その日にはいかにして有休をとるかをいつも考えていました。(実現できずに、結局は毎回参加しましたが)
 私の運動神経の鈍さは両親がお互いに「あんたに似たのよ…。」と言い合うくらいどうしようもないのですが、とにかくボーリングは今回で7回目でした。出だしはもちろんお決まりのG…ところが次がストライク!生まれて初めてなのであまりにも感動しすぎました。
 そのおかげでブービー賞やビリは免れました。いずれにせよ、センスのなさを皆さんにお披露目することができました。10、20、30・…70、80とキリのいい人までを表彰してもらったわけですが、「それでは、80位…いわながひさかさん」…(会場)しーん…笑…拍手…という結果だったのです。恐らく参加者は全部で84人ほどいたと思われるので、その中で表彰されるのはちょっと名誉なことです。ちなみに1ゲーム目63、そして2回目のスコアは59でした。私の中では上出来なのに。

 午後からは東京ネットの政治講座に参加しました。テーマは「市民が行う政治改革」。主に生活者ネットワークの運動を理解することが目的だったと思います。特に運動体における「代理人」=「議員」の位置づけなどを小グループで話し合いましたが、とても活発な議論がかわされました。
 私自身も活動をしながら常に感じるのは「一体誰のための代理人か?」ということです。ネットでは議員を「代理人」と呼びますが、ネットの会員外の人から見れば議員はあくまでも「議員」です。「代理人」なんて呼ばないし、時に「誰かの代理をしているなんてとんでもない!岩永ひさかがどうしたいのか。どうするのか?だろう…。」との意見をいただくわけで、「ネットの代理人が=市民の代理人」などと捉えるのは「大間違い!!!」として言われたこともあるからです。もちろん議員の役目の中には「市民の声を掬い上げ、そして代弁していく」役目もあり、市民の代理人だとも言えるかもしれませんが、「市民の代理人でもある」と公言することはある意味で「議員は市民の代表なんです。」とよく耳にすることと同様に思えてなりません。あくまでも議会という機構が市民の代表機関、議員個人はある一部の人たちの代表(さまざまな属性を持っている)というのが私の考えなので、そのことからしても「ネットの代理人=市民の代理人」をイコールで結ぶことができていません。
 同じグループの中には「ネットだけの代理人ではなくて、市民の代理だってしていく」という意見もありました。もちろんそういう時もあります。でも私は「市民の代理人です。」と公言することはできません。あくまでも「ネットワークの運動の中での役割分担の一つとして代理人」なんだと思っています。

 今日は夜は2つの催しが重なってしまいました。当初は長野県知事選に出馬した市川周さんが多摩市在住で、彼の話をきく集会があり、ぜひ参加したいと思ったのですが、「市民参加による公共施設のデザイン」という講演があまりにも面白く最後まで参加してしまったので、市川さんの話を断念しました。
 今、多摩市では8つめのコミュニティセンターが唐木田地区に建設が予定されています。この建設にあたっては行政の呼びかけで住民協議会が組織され、約1年ほどの間、敷地の選定やコミセンのおおまかなイメージ図を描いてきました。今日は発表会でした。
 「市民参加は当り前」と言われるけれども、例えば公共施設の建設で市民参加を取りいれたとしても完成した時にはどうなんているのか?これにとても興味があります。このコミセンの建設を追うことで具体的なカタチとして見えてきそうです。新しいハコモノづくりも、それほどない中でのコミセン新規建設です。この機会を捉えて学びたいと思っています。
 そして何と言っても講演会が面白かったのです。講師は千葉大学の延藤安弘さんでした。彼は「市民参加のデザイン」ではとても有名な方で、特に「コーポラティブハウス」関連ではひっぱりだこの先生です。彼は千葉県四街道市の福祉センター建設プロジェクトに関わった経験を話ながら、市民参加のありかたを講義してくれました。
 ところがその手法こそがユニークで「幻燈会」だったわけです。プロジェクターを利用しながら、弁士は延藤先生。「市民参加は燈のなかに幻をみるようなものなのです」と一言を沿えながら、いかに市民参加のプロセスを大事にするのか、そしてそのプロセスの中で市民一人一人の気持ちづくりをしていく大切さを鮮やかに描き出してくれました。
 特に幻燈会の冒頭では「絵本に見る住まいとまちづくり」として想像力の翼を広げていくことが大事だと出てきた絵本はスヌーピー。スヌーピーと仲間たちのつぶやきの中には実に子どもにもわかりやすいように「まちづくりのエッセンス」、コミュニティのことが解説してありました。特に「しあわせってわかちあうこと」というつぶやきは私たちが地域づくりをする中でのキーワードでした。
 「まちづくり」というのは「きもちづくりからかたちづくり」のことで、市民参加をしながら人が変わる、自分が変わる、そしてまちのあり方が変わるというのが先生の考え方です。私はとても共感しました。そして先生は納得のいくまでの話合いを大切にしています。住民同士、または行政と住民との意見の対立ではなくて合意形成なんだ…住民も一方的に要望するのではなく、いかにして調和していくのかを学びながら進めていくのが市民参加のデザインなのです。
 私は先生に尋ねました。「今後、行政の職員ってどのようになっていくのかについて、先生が感じること」です。すると先生は(1)市民参加は手法ではなくてポリシー。つまり態度そのもの。(2)豊かな表現力をつけること。(3)打たれ強いこと…という3つの法則があると答えてくれました。つまりこれからの行政職員は、市民参加と言うだけではなく職員自らが市民参加を態度で示すこと、そして杓子定規な物言いではなく人(市民)の心を動かせるようなプレゼン能力を身につけ、最後には市民は全てを行政にぶつけてくるし、その要望をもちろん全て受入れられないけれども、とにかく市民の声をとことん聞くということ…うたれ強さが不可欠だと強調をしていました。
 コミュニケーション能力を磨いていくことは行政職員のみならず、専門家なども同様だと言います。市民参加はコンセプトありきなので、従来のやりかたで先にデザインありきではうまく行かないのです。だからこそ、市民をコーディネートしていけるようなコミュニケーションスキルは重要です。先生は「自らの反省」を大事にして次に生かしていこうとする姿勢を大切にしながら、先生の市民参加のデザイン手法を編み出しているようでした。
 それにしても先生のワークショップはユニークで、特に子どもたちまでも交えて直接に意見を聞くときには、「絵を書いてもらうと上手い下手があるから・・とぼろ布をたくさん集めてきて布を思い思いのカタチにちぎりながら絵(布絵)を描く」手法を取っていました。私には感激でした。子どもの社会参加とかまちづくりの参加はなかなか難しいテーマで、いったいどんな風にできるのかについて、子どもたちの発想の豊かさをそのまま表現できる手法の発見が出来ていなかったからです。この「布絵」手法を一度やってみたいと思いました。唐木田のコミセンにも子どもたちのスペースがあるので、取りいれてもらうように働きかけてみようと思います。

投稿者 hisaka : 2002年10月12日

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