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2002年09月28日

市民自治基本条例を考えてみて

 いわゆる自治基本条例を制定しようとの動きが活発です。一昨日は清瀬で、そして今日の朝刊には西東京市で全会一致で条例が可決されたと言う記事がありました。
 多摩市に遅れ馳せながら制定作業を進めてきた自治体が、そして多摩市の取り組みを参考にしていた自治体が、私たちよりも早くに条例を可決したと言う事実には正直複雑な気持ちです。でもそれが「良い」わけでも「悪い」わけでもありません。今の多摩市の状況が決して悪いともいえないと思います。
 町田市で自治基本条例を制定しようと動いている方々に招かれて、多摩市の事例発表をしました。でも正直言って他の自治体の事例を参考にできても実態として何の足しにもならないのが自治基本条例だと思っています。「これが、自治基本条例」っていうようなサンプルはどこにもないと考えています。でも市民が自治するためには当然『情報』が必要です。だから自治基本条例には『情報の共有化』をどうやってしていくかを明記することは必要だと考えています。それから『住民投票』これは、自分たちで決定するためには当然必要なことです。ただ議会との関係においてはどのように整理していくのかがとても難しく、議会に理解を求めていくことが必要です。清瀬市で可決した条例も『住民投票』の部分をのぞいた上での結論だったと言います。多摩市の自治条例では「市民」と「住民」という区別があります。市民とはとても広い概念で、多摩市に住む人、働く人、学ぶ人すべてのこととしています。つまり、『市民投票』とした場合、どの範囲の市民にまでに市民投票の権利を認めるのかを考えると、その整理がとても難しいのであえて投票の権利は『住民』にあることとしました。そのかわり「市民アンケート制度」をつくりました。
 私は自治基本条例とはその策定過程こその意義があると考えています。「行政の限界」が言われると同様に、これだけ市民ニーズが高まり多様化している今、議会もある意味では限界にあるな・・・と感じるからです。例えば今度決算委員会があり、決算について研究してみると、とにかく福祉から都市計画から環境のことから、防災のこと、職員の人件費のこと本当に範囲が広すぎて正直言って丁寧に見ることが不可能に近いと感じるからです。専門性が要求されること、都市計画などでは工事の発注価格が適正なのか(もっと安価で工事出来る方法があるのではないか)というところまでになると私はやっぱり限界です。法律や要綱と照らしながら行政の仕事を見ていくことが本当に大変な作業だと感じています。
 私はその打開策として議会事務局のスタッフ充実、しかもそこに専門性を持っている市民を加えて一緒になって行政をチェックする体制の創設を提案したなと思っています。そういう意味でも自治基本条例に「市民自治」が推進されているかどうかを点検する市民自治推進委員会を設置することが書いてある多摩市の自治条例には期待をしていました。つまりこの委員会をきっかけにして、「市民自治」を測る指標はもちろんのこと、この委員会が走り始め、委員会の機能を高めて充実していっているうちに私の理想とするような議会事務局に似た体制が出来るように思っていたからです。やはりプロ級の知識や能力、専門性を身につけた市民がたくさんいることをもっと大切にしていきたいです。学識者、例えば大学の教授だけが専門性を身につけた人ではないのです。
 今、多摩市では全庁的に「市民自治基本条例」の研修が行われているそうです。これが行政職員全員に関わることなので、やはり全庁的にしっかりと認知された上で条例を進めていかなくては絵に描いた餅としなってしまいます。条例をベースにして忠実に仕事をすることが義務であるのが職員だからです。私はそういう動きを応援したいと思っています。市長の交替で多摩市の自治条例の制定時期が延期になったことを悲観はしていません。
 自治基本条例を制定する意義が策定プロセスにあるのは行政、市民、議会の役割をもう一度整理しなおす作業がいわゆる「新しい公共」を構築する上で不可欠だからです。公共のデザインを描くのは「ここ」に住んでいる人だからこそ、自治基本条例には見本がないのです。ただ、多摩市の市民ワークショップ形式やパートナーシップ協定のことはお手本になるのかもしれません。策定手法のひとつとして参考にはなります。
 私が一番危惧しているのはそういう策定プロセスを大事にしないままに「自治基本条例」を制定するような雰囲気があることです。「条例ありき」で進まないのが市民自治です。やはり原点にたちかえり「私たちに自治基本条例が必要なのか」「どうして必要になるのか」を自問自答しながら着実に制定を進めたいものです。
 そして今日、「議会と市民との対話の場所をどうしていくのか?」という手段を問われました。これはとても大きな宿題だなと改めて感じました。簡単には答えは出ません。

投稿者 hisaka : 2002年09月28日

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